業苦楽30 「苦労は買ってでもしろ」の発想

「業苦楽」は浄土真宗の宗祖の親鸞聖人の言葉で、自業自得の“自業”のための苦は「自業苦」(じごく)であり、その自業苦を乗り越えて得られる楽が「業苦楽」(ごくらく)ということは何度か紹介してきました。

苦が楽につながるなら苦労は大切なことで、そこから「苦労は買ってでもしろ」という言葉も理解できるようになります。

これは若いときの苦労は将来に役立つ貴重な経験となるので、積極的に苦労を経験するべきという意味の諺(ことわざ)です。

となると、「苦労は買ってでもしろ」は正しくは「若い時の苦労は買ってでもしろ」ということになりそうです。

これと似たことに「苦あれば楽あり」という言葉があって、苦しいことの後に楽しいことがある、苦労は必ず報われるという意味で使われています。他の言葉に言い換えると、「雨降って地固まる」「禍を転じて福となす」ということになります。

禍(わざわい)は、「自業苦」と似たような印象があっても、自分がやってきたことと無関係に起こることもあります。

これとは逆に、「楽あれば苦あり」という言葉があります。この言葉(フレーズ)は水戸黄門の「苦は楽の種、楽は苦の種と知るべし」に由来しています。

水戸黄門は言わずと知れた江戸時代の水戸藩主の徳川光圀のことで、儒教の教えを記した『水戸光圀卿九ケ条禁書』の第一条に書かれている言葉と伝えられています。

「苦あれば楽あり」と「楽あれば苦あり」はセットで使われることが多い言葉で、これは「自業苦」と「業苦楽」の関係性に近いところがあります。

何も嫌なことを積極的にやれという意味ではなくて、目先のことに一喜一憂することなく地道に進むというくらいの気軽さが今の時代には似合いそうです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕