学びの伴歩33 新たな活動の仲間

伴歩という言葉は、寄り添っていくという意味合いがあることから、「学びの伴歩」として使う場合には、いくつかのイメージで捉えられます。

わざわざ伴歩を求めるのは、自分に欠けたところがあって、それを補ってもらいたい、補ってもらうことによって本来の力が発揮できる(ことが期待される)ということがあります。

欠けたところはなくても、自分一人では勝ち抜く気力が充実しにくい、怠け心が出かねないということで一緒に歩む人が期待されることもあります。これは“もう一人の自分”を求めてのことと考えられます。

これまでの伴歩は、イメージや意味合いに違いはあったとしても「欠けたところを補う」というのは共通した感覚でした。何が欠けているかわからなくても、一人で歩み出すよりも安心感があるということもあります。

中には、失敗に終わったときに、その責任を自分一人で背負うのではなくて、一緒に分かち合ってほしいという感覚もあります。もっとよくない(と思われる)こととしては、失敗したときに相手のせいにできるという感覚で伴歩を求めてくる人も、少なからず存在しています。

これまでの話は既存の出来事、以前と変わらないことを続けている場合に多く見られることで、新たな活動を目指すときの伴歩は違ったことが求められます。

これまでの活動でも充分であった人たちが、さらに上を目指して、新たなステージを目指して集う場合には、それぞれが伴歩をする側にも、伴歩をされる側にもなっていくことになります。

これは一般には“共助”や“共生”と呼ばれていることですが、伴歩の発想では新たに集う人たちとの“共創”であることと認識しています。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕