なぜ感情が表情に現れるのかということについて、ほんの一端ですが前回(日々修行315)書かせてもらいました。それに続いて、微表情分析を岡山に移住してからは封印していたことを書きましたが、それを解禁したのは移住7年目の昨年のことです。
東京に住んでいた44年間は、微表情分析の機会がいくらでもあり、それを仕事に活かしたり、危機管理や危険回避に大いに役立てることができました。
岡山では、そのような機会がなかったわけではないものの、移住の目的であった仕事が呼び寄せた人の都合で急になくなり、縁も所縁(ゆかり)もないところで人脈を一から作り上げていくために人の選別をしている余裕がない、という時期がありました。
やっと微表情分析によって“選り好み”ができるような段階になったときに、新型コロナ感染症の蔓延が始まり、マスクが必須の状況が3年間も続いたので、微表情分析をしようにも表情の変化が見えない状況になっていました。
その後に、マスク越しで知り合った人と実際に仕事を始める段階になり、私はマスクをつけているから外してもよいということを言って、目の前にいる人の表情を見ることができるようになりました。
そのときになって、「微表情分析ができていれば」と後悔するようなことが起こりました。それも相次いで起こるようになって、私は微表情分析のおかげで、これまで大きな失敗をしないで済んでいたのではないかと考えるようになりました。
微表情分析の解禁について、東京人脈の複数の知人の話をしたところ、「錆びついていないか」との声がある一方で、「昔取った杵柄」と言って励ましてくれる人もいました。
それと同時に聞かれたのは、「もう東京に帰ってくることはないのか」ということでした。私が東京を離れたときに、微表情分析をされなくなると言って安心した人も多かったということは本人からではなくて、人伝(ひとづて)に何人からも聞きました。
古希という年齢を考えると、今さら微表情を分析するようなことをする気はなくて、岡山だけで使うこと、それも仕事として(稼ぐために)するのではなくて、自分自身と、一緒に活動する人のためにだけ使うことに決めました。
そのために初めにしたことは、メガネを変えたことです。これまでは遠近レンズではあったものの、度数を低めにして、微表情がわからないようにしていました。
それを通常の度数で遠近レンズと中近レンズの両方を用意して、微表情を見る対象が、どの距離にいても対応できるように変えました。
遠近も中近もフレームは同じで、レンズの厚さもほとんど変わらないので、この使い分けは今も気づかれていません。
具体的に、どのように微表情を分析しているのかについて説明するためには、かなりの文量が必要で、これは新たに連載コラムを始めたほうがよいのではないか、と本気で考えています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕