2024年4月1日に設立された一般社団法人全日本ミニマリスト協会では、理事を務めさせてもらっています。理事は代表を含めて3人だけということで、設立・登記も支援させてもらいました。
これは社会的なミニマリズムの普及の支援ということもあるのですが、自分にとってミニマリズムの精神は重要との考えがあったからです。後者のほうが、実は大きな意味合いがありました。
ミニマリズムというと、断捨離と混同されることがあります。まったく断捨離と違うということではないものの、無駄なものを捨てればよい、整理すればよいということではありません。
無駄なモノを持たないという断捨離は、東日本大震災の前にはメディアの恰好のネタで、テレビ番組(全国キー局)の企画を担当していたときに、健康関連のネタとして使えないかということで複数のルートから持ち込まれていました。
それは大手出版社とのタイアップで、健康に関わる話題の前振りがあって、それとつながる部分が一つでもあればよいということで、3つの番組で扱ったことがありました。他にもタイアップが仕掛けられていて、全体から見れば私が扱ったのは全体の4分の1ほどです。
最後まで順調に進んでいたのに、収録の段階で、こちら側から“断り”“捨てる”こともあり、その結果として断捨離の教祖のような女性と“離れる”ことになりました。
それは、その教祖が「家に保存するものを置かなくてもコンビニがあれば大丈夫」という発言をして、それは安全への備えということでは本当に電波に乗せてよいことなのか、という疑問があったからです。
私たちが断ったネタが、他の局の番組で放送されたときに、スポンサーがコンビニや、コンビニで販売数が多い食品であったので、なんとなく納得したことがありました。
「コンビニには生きていくのに必要なものは売っている、自分の家の保存庫・冷蔵庫として使える」ということや、「ネット注文で何でも配送してくれる」という考えは、2011年3月11日の大震災で一変しました。
地震報道で健康関連だけに限らず、バラエティ感覚のネタはテレビから一時的に消えました。それは一時的なことで10日ほどすると戻ってはきたものの、いつ緊急放送が入って、予定していた内容が変わるかわからないために、タイアップ企画は成り立たなくなりました。
断捨離の扱いは、不要なものを捨てるどころか最低限のものも手に入らないということだけでなく、通常の流通でなければコンビニに商品が届かないという事実のもとにあっては、断捨離は日の目を見ない存在となってしまいました。
断捨離の教祖は、海外に渡り、戻ってきたときには片付けの教祖となり、「ときめくものを残す」というメソッドで復活しています。
断捨離のイメージが続いていれば、ミニマリズムはもっと注目されていて、「防災=ミニマリズム」という発想での活動は、もっともっと早まったのではないかと考えています。
ミニマリズムの本筋についての考えは次回(日々修行318)に書かせてもらいます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕