日々修行348 地元の偉人

ローカルネタは、地元の人は知っているけれど、地元以外には通じない話題ということで、道府県にスポットを当てたテレビ番組の格好のネタとなっています。

道府県と“都”を入れていないのは、東京ネタはテレビなどのメディアを通じて全国に知られることが多くて、また東京都の人口の約45%は地方出身者であり、転入・転出が激しくて、全国に伝播しているからです。

地元の有名人というと、全国レベルで知られている人もいれば、それこそローカルネタのレベルという人もいるのですが、私の出身地の新潟県内でも限られた地域のローカル有名人がたくさんいます。

子どもの頃に知った有名人の一人は前島密です。それは小学1年生のときのことで、当時は都市部の高田駅からバスで40分ほどの距離にある田舎の村に住んでいました。どれくらい田舎かというと、その村が面している自治体の一つが山を挟んだ長野県飯山市でした。

移動の途中にあるバス停を通過するたびに、父親か母親が「前島記念館がある」と話していました。前島密(ひそか)の生家跡に建てられた郵便の記念館で、現在は郵政資料館分館前島記念館となっています。

前島密は郵便の父と呼ばれ、今も1円切手の肖像に描かれています。郵便と命名したのも切手と命名したのも前島密で、明治時代に郵政の長を11年間務める間に今の郵便の仕組みを作り上げました。

日本郵政のホームページに特設ページが設けられていて、その中には京都から遷都をするときに、東京遷都を提言したという明治時代のエピソードが載っています。

小学3年生で村から都市部に転校する前に前島記念館に連れて行ってもらい(誰と一緒だったかの記憶が定かでない)、そのときに前島密の言葉が書かれた資料をもらいました。そこに書かれていた「縁の下の力持ちになることを厭うな。人のためによかれと願う心を常に持てよ」は今も心に残っています。

といっても、厭う(いとう)の読み方と意味がわからなくて、日本語の難しさというか奥深さを知った初めての機会かもしれません。

山奥の村に住む前には、漁師町の出雲崎町にある母親の実家の寺院に住んでいました。その期間は3歳から小学校入学直前の未就学の時期ですが、出雲崎町にも地元の偉人がいました。それは良寛(りょうかん)和尚で、新潟県以外で特に有名なのは岡山県です。

良寛和尚を有名にした研究者というか文学者は糸魚川市の偉人の相馬御風(そうまぎょふう)で、御風さんと親しい感じで呼ぶのは遠い親戚だからです。

良寛さんと御風さんの研究書を多く蔵書していた東洋大学で学生時代を過ごしましたが、東洋大学の創設者である井上円了(仏教哲学者)さんは、母親の実家の近く(出雲崎町と長岡市の間)にある浄土真宗の寺院の出身です。

これらの地元の偉人については次回(日々修行349)で書かせてもらいます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕