画期的と思われることを思いついたら、すぐに企画書にして、実践のための計画を立てていくということは、27歳の時から昨年(69歳)まで、随分と長く続けてきました。
その計画が上手くいったのかというと、東京にいて仕事をしてきたときには、確率的にはほぼ全勝でした。岡山に移住してからは、上手くいったからといっても5勝4敗くらいの成績で、平均すると3勝4敗で、悪い時には4勝3敗くらいだったかと思います。
勝った要因を解析するのは簡単なことで、解析するために時間がかかったとしても、周囲が言うほどには苦労をすることは少ないというのが率直な感覚です。
ところが、負けた要因の解析となると、解析するために時間がかかり、解析の結果を文章や資料に残そうとすると、なんだかあやふやになってしまうことがあります。
それだけでも困難さを感じることもあるのに、頑張っても成果が表れにくくなって、より困難さを強く感じてしまうのは、頑張って仕上げた企画・計画なのに、まったく同じ(といってもよいくらい)ものが対抗馬として登場することです。
考えはするものの、いつまで経っても結果が出ない、最良の(と思われる)結果が浮かんでこないことがあり、他に方法があるのか、方法は同じであっても攻め方が違っているのか、と悩まされることもあります。
攻め方までは問題はないとしても押し引きのタイミングなのか、それともその時々の駆け引きも関係しているのか、さらに考えると「必死になって考えないと出てこない発想なのか」という“画期的”という部分を取り払わないといけないのか、画期的だと本人が考えているだけで、実際には大したことがないことだったのかとの考えも出てきます。
もっと言うと、「そもそも必死になって検討することが必要な内容だったのか」との反省点も浮かんできます。
まるでスパイの目と耳(監視カメラと盗聴器)が仕掛けられているかのようなことが起こります。そんなことが気になって、部屋の中を捜索しても、何も出てこないというのは普通にあることです。
私の場合は、盗撮や盗聴をシャットアウトするプロの支援があるので、初めから何も仕掛けられてはいないと思うのですが、そんな時に考えるのは「同じことを考えている人は“同時に”何人もいる」ということです。
「同じことを考えている人は何人もいる」というのは、教訓として昔から言われ続けてきたことです。だから思いついたら、すぐに行動に起こすことが重要であると言い続けられています。
過去の長い歴史を振り返れば、「何人もいる」ということは納得ができても、“同時に”という用語がつくと、納得ができないというか、そう起こることはないだろうと考えてしまうところです。
しかし、実際には、これまでにないヒントを得て、それを自分の中で熟成させて、「これなら行ける」と判断してから間を置かずに(速攻で)提案したら、同時期に同じ提案があったということは何度か経験してきました。
テレビ番組の企画では何度もあって、「熟成させるのではなかった」と思わされたこともありました。熟成させずに提案しても、最終決定の場で刎(は)ねられることがわかっていたとしても、です。
「同じことを考えている人は“同時に”何人もいる」のだから、急がないといけない、ということではなくて、急ぐだけでなくて同じようなことがあったとしても優っている内容にしないといけない、という気持ちは常に持ち続けています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕