日々修行356 エネルギー代謝科学研究への道筋

「なぜ仕事先を転々と変えてきたのか」と聞かれることがあります。

確かに、社会人になってから厨房機器の全国団体(日本厨房工業会)の月刊機関誌の取材と編集を担当することになり、そこから臨床栄養の研究機関に移り、次々と新たな名刺を持つようになりました。

その名刺の団体は臨床栄養のHDS研究所で、当時の所長が臨床医と病院栄養士の全国団体(日本臨床栄養協会)の副会長(創設者の一人)であったことから、その運営と機関誌の編集を担当しました。

また、病院調理師の全国団体(全国病院調理師協会)、産業栄養の全国団体(産業栄養指導者会)でも団体の運営と機関誌・機関紙の編集を行いました。

この関係での名刺だけで4種類でしたが、これらの関係でも名刺をもらうことがあって、最も多かったときには7種類の名刺を同時に持っていました。

やめて次に移ったわけではなくて、次々に積み重ねてきたという感じでしたが、初めに仕事として学ばせてもらった厨房機器と調理の関係のレールの上を走ってきました。

その仕事をする中で、1987年にTHP(Total Health Promotion)活動が始まりました。

これは厚生省と労働省が別の組織であったときに始まったもので、産業界で働く人たちの健康の維持・増進を目的として産業医の診断に基づいて各専門家が指導を行うというもので、栄養(産業栄養指導者)、運動(ヘルスケア・トレーナー)、保健(産業保健指導者)、心理(心理相談員)の団体が設立されました。

健康づくりには4方向からのアプローチが重要とのことで、そのときに議論されたのは単なる寄せ集めではなくて、それぞれが関わり合って、より高い健康を目指していくという今でいうウェルネス(wellness)の考え方です。

とはいっても、境界を踏み越えての研究というところまでは進んでいなくて、それを担う存在として健康科学情報センターを設立しました。それは1995年のことで、この年に起こったこと、始めたことは日々修行の連載コラムの中で何度も出てきました。

最も象徴的なことはWindows95の登場によって、情報伝達への考え方が大きく変わったことです。

健康科学情報センターでは初めて組織の代表者の名刺を持つことになりましたが、この時も前の仕事をやめたわけではなくて、むしろ臨床栄養の関係者に私の事務所を使ってもらって、運動、保健、心理の各団体との交流を行う組織としました。

そこで始めたのは、表向きにはインターネットと紙媒体での健康科学の情報発信ということでしたが、その根幹となる健康科学の内容として定めたのは“エネルギー代謝科学”でした。これが今に続く日本メディカルダイエット支援機構の活動の始まりでした。

2001年には厚生省と厚生労働省が合併して厚生労働省となり、その前から国の健康施作が大きく変わっていきましたが、1999年には情報分野では「健康日本」の編集委員となり、変化を逐一伝えていく中で、将来の日本の健康づくりの形が徐々に見えていくことになりました。

その変化の中に、医薬品であった成分が食品としても使用が許可されるということがありました。1997年にビタミン、1998年にハーブ、1999年にミネラル、2001年にアミノ酸が、それぞれ食品として許可されました。それまでは正式には薬局で手に入れるしかないものだったのです。

そして、2001年にコエンザイムQ10、2002年にL-カルニチン、2004年にα-リポ酸が食品としての使用が許可されました。

これらの成分は、今ではダイエットの素材という認識が強いかもしれませんが、エネルギー代謝を促進させるもの、年齢を重ねると低下していく生命維持のエネルギーの産生を高いままにしておくことができる画期的な成分で、それがサプリメント成分として使えるようになったのです。

このことも何度か書いてきたことですが、日本メディカルダイエット支援機構の副理事長はL-カルニチン研究の第一人者です。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕