前回(金言の真理8)は、松下幸之助さんの「任せて任さず」の前半の「任せて」の意味を書きました。今回は後半の「任さず」を加えた全体の意味を書いていきます。
金言は教訓のように長々した文ではなく、端的な言葉の中で真理があるというのが理想的だとすると、その代表例のような言葉が「任せて任さず」です。
仕事を任せたら、結果が出るまで任せっぱなしにするのではなく、適時適切に報告を聞き、その内容を把握して、任せた側(責任者)は目的どおりに進んでいるか、多少は紆余曲折があっても進められているのかを把握することが重要なことです。
その重要なことが案外とできていないことがある、そして把握しても的確なタイミングで助言ができていないことがある、と松下さんは語っていました。
報告内容を確認して、必要と判断した場合には的確な指導や助言を行います。それが責任者の務めであり、そのような全体像を見て、指導すべきときに指導が行われることがわかっていればこそ、大胆に仕事を任せられても受けることができるし、安心して実施できるということです。
「任せて任さず」は“経営の神様”の金言として広く知られるようになったときに、「基本としては任せるが、いざというときには任せない」という意味だと伝えられることがあり、松下さんの言葉を文字にして、文にして伝えてきた立場としても、困った感覚になったことがあります。
「いざというときには任せない」という考えは、任せたことを途中でストップをかける、前言を翻すということにつながります。その「任せない」ということによる責任を誰が取ることになるのかですが、中には任せない、仕事を奪うのに、それまでの責任だけは任せられた人に取らせるという人が少なからずいます。
松下さんの「任せて任さず」は、責任のすべては任せた本人が引き受けることであり、そこまでの覚悟があるから、しっかりと見極めて大胆に仕事を任せると同時に、指導と助言を行っていたのです。
〔セカンドステージ連盟 小林正人〕