時間塾2 時間は誰にも平等なのか

時間について語られるとき、その基本となっているのは「1日24時間は誰にとっても同じ」ということです。

これを常識と考えるか、それとも常識と見せかけておいて実は違っているということを伝える(気づかせる)ために言っているのかという話ですが、「同じ長さであっても同じ結果とは言えない」ということを、ここでは書きたいと思います。

1日の長さは24時間であって、活動できない時間(その多くは睡眠時間)を除いた時間が同じであれば、使える時間の長さだけは同じだということになります。

同じ長さであれば、同じように使えるかというと、そうとは限らない(そうではない!?)ことは、多くの人が知っていることです。

では、実質的に使える時間が同じであった場合は、どうかというと、その例としてあげられるのは一定の場所に集まって仕事をすることで、会社に定時に出社して定時に退社した場合には同じ時間だけ拘束をされて、同じ働きをしたことになるはずです。

しかし、同じ時間の働きで、成果が違っているのは普通にあることです。ベルトコンベア式の仕事で、そこで働く人が全員同じ行為をしたとしても、最終的な結果が同じとは限りません。

決まった形に整えなければならないのに、その形にはまらない(合わない)、合格点に達していないということであれば、チェックする人が甘く判断してくれないと、やり直しの状態で出荷・提供することにもなります。

時間は誰にも同じように与えられていたとしても、誰にも同じ結果を生み出すものではなくて、誰にも平等なのかというと、疑問が残るということです。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕