1日24時間という時間の長さは誰にとっても同じであったとしても、その価値は同じということはありません。しかし、その認識が合っているのか、という疑問も抱かれています。
「金持ちの24時間と貧乏人の24時間とでは価値が違う」という言葉があるのですが、出典を探ってみても確定的なことは出てきません。それくらい多くの人が感じている(と同時に発信している)、普遍的な感覚になっているということです。
同じ1時間であっても、金持ちと評価される人は濃密な時間を過ごしているのに対して、そうでない人は無駄なこと、効果がないことにも時間が使われているので、実際は1時間(60分)が45分か30分しか使われていないということにもなっています。
ここまでの話は書籍でも講演でも見聞きすることではあるのですが、金持ちの代表と一般に見られている経営者は濃密な1時間を過ごしていて、まさに“分刻み”という表現がピッタリという人も中にはいます。
それほどに忙しい経営者であるので、約束をしていた時間に遅れてくることがあっても、なんとなく許されているところがあります。中には、自分が忙しいということを示すために、応接室や会議室に、わざと遅れて入ってくるという人もいました。
遅れてきた分だけ打ち合わせなりの終わりが延びて、実質の時間が確保されているなら、“時間を損した”ことにはならないかもしれませんが、大抵は開始時間が遅れても終了時間は変わらないということになっています。
この失われた時間は、それぞれの人にとって価値が違っているので、「15分くらいなら問題ないだろう」と単純に考えるわけにはいかないのです。
お題の「時間の価値は違うのか」の解答としては、金を払う人の時間は価値が高くて、もらう人の時間は価値が低いということではなくて、どちらの価値も時間に関しては同じくらいに高いということです。
それを他人の時間を奪う可能性がある人は意識して、時間について考えるべきだということを話しています。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕