「足るを知る」の発想を受け入れやすいかどうかは、それぞれの人の環境や経験によって変わってくるところがあります。
その例として、ここであげたいのは浄土真宗の宗祖(開祖)の親鸞聖人の教えの中に出てくる業苦楽(ごくらく)と自業苦(じごく)です。多くの人が聞いたことがある極楽と地獄を別の文字で表したものです。
このような言葉で示すのは、浄土真宗には他の仏教宗派とは違って、地獄が存在していないからです。浄土真宗の門徒(他宗派の信者)は、亡くなったら即座に誰もが極楽にいくことができるという教えがあります。地獄があるとしたら、それは生きている現世に存在していることになります。
そして、それは自らが行ってきた自業によって起こるもので、それは自業自得です。他の宗派であったら、自業自得は悪い行いをしてきた結果であるので、悪い結果になるということになるのかもしれませんが、そもそも自業自得は良い行いによって良いことが起こることも、悪い行いによって悪いことが起こることも意味しています。
最も悪い出来事は亡くなってから“地獄に堕ちる”ことです。そうならないように必死になって祈る、悪いことをしてきた分を取り戻して、さらに善行を積んでいくということが説かれる宗教・宗派がほとんどかと思います。
これに対して、浄土真宗には地獄が存在していないので亡くなって地獄に行くことはありません。浄土真宗の門徒が行く先は全員が極楽です。
浄土真宗には亡くなってからの地獄はないわけですが、現世に存在しているのは何かというと、これが自業によって苦しむことであり、これを「自業苦」と書いて「じごく」と読み、地獄と同様の苦しみの状態を指しています。
今の状態を知って、これを満足して受け入れることが「足るを知る」であり、苦しいことがあっても、その先に楽しみがあるという業苦楽と合致することであると考えています。
〔セカンドステージ連盟 小林正人〕