金言の真理39「兵隊の靴」5

作曲家の米山正夫先生と巡り会えたのは2ルートあると前回(金言の真理38)書きましたが、「改造」の編集長を務めた水島治男先生の息子さんが音楽雑誌の編集長であったので、その関係かと思われることがあります。

息子さんが編集長を務めていたのはクラシック音楽専門誌で、米山先生は歌謡曲を中心としていたので、ここに接点はありません(後々には、つながることはあったのですが)。

米山先生の1000曲以上の作曲の中には、有名になったコマーシャルソングもあって、その中で多くの人の耳に残った曲といえば「赤いトラクター」(ヤンマー)と「ヤン坊マー坊の唄」(天気予報のテーマソング)でしょうか。

コマーシャルソングは広告代理店の担当と一緒に作ることもあって、大手広告代理店のテレビ局の重鎮であった浅田誠彦さんは米山先生を担当したことがあって、その関係も紹介ルートとなりました。

浅田さんについては、これまで他の連載コラムの中で名前は出さなかったのですが、台湾から有名な歌手を2人連れてきて大ヒットさせたことや、日本と台湾(中華民国)の文化人交流会(日華文化人クラブ)、その交流会の関係で元女優の参議院議員が健康食品業界の会長になったことから業界の仕事をさせてもらったことも書いてきました。

これは、まだ書いていないのですが(近いうちに書くことになるかも)、厚生省と労働省が合併して厚生労働省になったときに、職員と同様の仕事をさせてもらっていたのも、浅田さんの関係でのことです。

私が何でもかんでも仕事をしてきたのは、浅田さんの影響もあるかとは思いますが、米山正夫先生の「兵隊の靴」というコラム原稿について浅田さんと話したときに、「合わない靴が履いているうちに合うようになったと感じた時が継続するか他に移るかを判断する機会」という言葉がありました。

これについては「金言の心理」の中で、別に書く機会があるかと思います。

これも書いてこなかったことですが、私の仲人は浅田さん御夫婦です。
〔セカンドステージ連盟 小林正人〕