私が岡山に移住したのは2017年の4月ですが、東京にいた44年間には、いくつかのホームページを作成して、そこに原稿を入れてきました。
今も原稿を入れ続けているのは、日本メディカルダイエット支援機構のホームページだけです。2015年から始めて、毎日のように原稿を入れていますが、「最新情報」のコーナーだけでも8888本を超えました(2025年10月12日)。
これとは別に、健康関連の情報を収集して、毎週1回の「健康情報メール」を送り始めたのは2010年4月のことで、2025年10月28日現在で816号になっています(目標は888号)。1回に40本の情報を原則としているので、3万本以上の情報を広く健康に関わる方々に送ってきたことになります。
数多く手がけてきた団体機関誌の中でも日本健康倶楽部(巡回健診の全国団体)の「月刊健康日本」は13年間続けてきて、二次使用権は1816ページ(A4サイズ)になります。
こういった原稿をベースにして、コロナ禍の3年間に、健康に関わる6つの講習のための原稿をA4サイズで書いてきて、1000ページを超えています。ここまでの量を作成したのは、コロナ禍の期間もありましたが、瞑想のように心を整えてきた原稿を書くことで、自分を保ってきたという感覚があります。
岡山に移住することを決断したのは、日本メディカルダイエット支援機構の当時の理事が岡山市の出身で、地元に介護施設を作りたいとの要望を受けてのことでした。
私ができるのは健康の情報提供と指導くらいですが、叔父が日本社会事業大学で学長を務めた社会福祉学者で、私の医療・福祉の人脈も活かせる内容でした。
妻は鍼師、灸師、あん摩マッサージ指圧師と国家資格が3つあり、妻の妹は東京藝術大学出身のプロの演奏家で音楽療法の専門家でもありました。
妻の父親は京都大学出身の薬学博士で、テレビ番組にも多く登場していて、著書・監修が165冊を誇っていました。妻の母親は日本画家で、院展にも何度も入選していました。
その力を結集すれば、岡山の役に立つことができるとのことで、家族で移住しました。
ところが、途中で介護施設が介護予防施設になり、最後は運動設備がある娯楽施設に変わり、これは私たちの役割でないと判断したのは移住から2年半後のことでした。その後の半年は岡山の医療・福祉の人脈を辿って、新たな仕事を構築しました。そして、いよいよ開始というときに、新型コロナウイルス感染症が始まって何もできなくなりました。
私にしたら、岡山に来てから実質は2年半という状況で、これからは溜めにためてきたことを一気に発揮するだけという段階となりました。
〔小林正人〕






