自業苦・業苦楽2 浄土真宗には地獄がない

「自業苦」と「業苦楽」は、一般に認識されている地獄と極楽を別の文字で表したものですが、自業苦も業苦楽も浄土真宗の宗祖(開祖)の親鸞聖人の教えの中に出てきます。

自業苦は「じごく」、業苦楽は「ごくらく」と読みます。

洒落や酔狂で当て字(漢字本来の意味に関係なく、音や訓を借りて当てはめた漢字)をしたわけではなくて、親鸞聖人は浄土真宗の本質を伝えるために、本来の意味を活かして極楽と地獄について説いています。

仏教の世界では当たり前のように伝えられている地獄のことを、わざわざ別の漢字を当てているのは、浄土真宗には地獄が存在していないからです。ここが他の仏教宗派と違っているところで、存在していないものを“地獄”という文字を使って示すわけにはいきません。

地獄は現生を全うしてから(中には全うすることなく亡くなる人もいるとは思いますが)行くところであって、生きているときに堕とされる(経験・体験する)ことはないはずです。しかし、世の中には“生き地獄”という言葉があって、生きたまま地獄を経験する人がいるのも事実です。

それは偶然や運が悪かったから経験してしまうものではなくて、自らが行ってきた「自業」(じごう)が自得(じとく)として身に降りかかってくるものです。

浄土真宗以外の仏教宗派では、地獄に堕とされることがないように善行を積むことがすすめられ、亡くなってからも遺族や関係者が成仏できるように(地獄に行くことがないように)四十九日まで“必死になって”お参りをするわけです。

これに対して、浄土真宗には地獄がないので、自業苦について説かれています。

自業苦と業苦楽の感覚は、私の経験・体験が関わっていますが、次回(自業苦・業苦楽3)は自業苦について書かせてもらいます。
〔小林正人〕