金言の真理63「唯我独尊」2

お釈迦様は誕生したときに、いきなり立ち上がって歩き、右手を天に、左手を地に指し、「天上天下唯我独尊」との言葉を発したとの逸話を前回(金言の真理62)書きました。

これには仏教宗派によって説明に違いもあって、立ち上がって歩いたのは7歩であったという説や、東西南北の四方に7歩ずつ歩いたという説もあるのですが、その後の右手を天に、左手を地に指し、「天上天下唯我独尊」と言ったということは共通しています。

「この世で自分より尊い者はいない」という意味は間違いということも書きましたが、“我”は私ということでなくて、“我々人間”を指しています。

誕生の逸話ということは、それ以降のお釈迦さまの偉業へとつながっていきます。

仏教では修行が重視されています。修行は「真実の自己を実現するために、自らの行いを正し、修めること」を意味しています。

修行(しゅぎょう)は、それ以外の日本語としての読み方はありません。精神や人格の向上を目的として終わりのない実践をすることを指しています。

勘違いされがちなのは修業で、これは「しゅぎょう」のほかに「しゅうぎょう」とも読まれます。修業(しゅぎょう)は学術や技芸などを習い修めることです。修業(しゅうぎょう)は習得して資格を取ることで、その際に受け取ることができるのが修業(しゅうぎょう)証書です。

話を戻すと、修行の最終目的は「悟りを開くこと」です。仏教で最も尊敬される立場が言わずと知れた仏陀(ぶった)です。仏陀が悟りを開いたということではなくて、悟りを開いたゴータマ・シッダールタ(インドのシャカ族の部族の長の王子)が仏陀となったということです。

一般にはゴータマ・シッダールタも仏陀も、お釈迦さまと呼ばれていますが、仏陀には「悟った者」「真理に目覚めた人」という意味があります。

「天上天下唯我独尊」と誕生直後に行ったのは前者の時です。生まれながらにして悟っていたわけではないのですが、さすがに仏陀となる人は他とは違っていたという、これは逸話そのものといえます。
〔セカンドステージ連盟 小林正人〕