自業苦・業苦楽7 学びの時間は苦より楽だった

新潟県で生まれ育った私が上京して学んだのは東洋大学です。東洋大学の学祖(設立者)の井上円了先生は、新潟県来迎寺村(現在は長岡市)の浄土真宗の寺院の出身で、大学の図書館には仏教関連の書籍が、それこそ山のようにありました。

東洋大学は哲学館から始まった東洋哲学で有名でしたが、私が主に学んだのは法学部で、東洋哲学は特別聴講させてもらっていました。

たまたま大学受験のために聞いていたラジオ講座の古文の先生が東洋大学のインド哲学の教授であったこともあって、挨拶に行き、話をしているうちに聴講させてもらえることになった、ということです。

図書館には、浄土真宗に関する書籍や資料も数多くあり、お寺を継ぐ身ではない外孫であったので、ここしか学ぶ機会はないとの思いもあって、時間さえあれば図書館にこもっていました。

初めの数冊で、浄土真宗の宗祖の親鸞聖人の教えの一つである「自業苦」(じごく)に行きつきました。

浄土真宗が他の宗派と大きく異なっているのは、地獄が存在しないことです。浄土真宗の信者は、亡くなったら即座に誰もが極楽にいくことができるという教えがあります。地獄があるとしたら、それは生きている現世に存在していることになります。

そして、それは自らが行ってきた自業によって起こるもので、それは自業自得です。他の宗派であったら、自業自得は悪い行いをしてきた結果であるので、悪い結果になるということになるのかもしれませんが、そもそも自業自得は良い行いによって良いことが起こることも、悪い行いによって悪いことが起こることも意味しています。

最も悪い出来事は亡くなってから“地獄に堕ちる”ことです。そうならないように必死になって祈る、悪いことをしてきた分を取り戻して、さらに善行を積んでいくということが説かれる宗教・宗派がほとんどかと思います。

これに対して、浄土真宗には地獄が存在していないので(私が育った寺院には他の宗派で目にした地獄絵はなかった)、亡くなって地獄に行くことはありません。浄土真宗の門徒(信者)が行く先は全員が極楽です。

このことを知って、自分が何をするべきかということに辿り着くまでは相当の時間がかかったものの、それを苦と感じるよりも、真理に近づいていると思えることが“楽”と感じる長期間の経験でした。
〔小林正人〕