国民的歌手と称される三波春夫さんの半生を綴った書籍の“初めの読者”となった関係から、その歴史と芸について深く知ることができましたが、三波春夫さんのことは子どもの頃から父母や祖父母に聞いて、浅い知識ではあったものの知っていました。
三波春夫さんの出身地は新潟県の越路町(現在は長岡市塚野山)で、誕生されたのは1923年(大正12年)なので、1955年生まれの私とは30年以上も離れていて、書籍の作成で初めて会っただけです。
ただ、私が3歳から入学まで暮らした母親の実家の寺院(出雲崎町)とは比較的近い距離であって、私が2歳の時には「チャンチキおけさ」が大ヒットしていたので(合計200万枚)、地元の英雄でした。
住職の祖父からは、三波春夫さんは13歳でして上京して住み込み奉公をして、16歳で浪曲学校に入り、南條文若の名前で浪曲師となったと聞いていました。
20歳で陸軍に入り、終戦後の22歳から26歳まではロシアで抑留生活を過ごして、帰国後に浪曲の世界に戻り、昭和32年(33歳のとき)に三波春夫として歌謡界デビュー。そのデビュー曲が「チャンチキおけさ」でした。
と、ここまではネット検索をすれば同じようなことが出てくるのですが、1984年に発行された書籍『歌藝の天地』(PHP研究所刊)にも書かれていることです。それと違っていない話を祖父からも父からも聞いていたので、流石に地元の英雄のことはよく知っていると感心したものでした。
当時のレコードはドーナツ版で、今ではカップリングと呼ばれていますが、A面が「チャンチキおけさ」、B面が「船方さんよ」でした。
ラジオでもよく流れてくるので、「知らぬ同志が小皿たたいてチャンチキおけさ」や「おーい船方さん、船方さんよ」と意味もわからず子どもが歌っていた時代でした。
その後も東京オリンピックの前年(1963年)の「東京五輪音頭」(250万枚)の「あの日ローマでながめた月が きょうは都の空照らす」も、日本万国博覧会(大阪万博)の3年前(1967年)の「世界の国からこんにちは」(300万枚)の「1970年の こんにちは」も、今でも記憶に残るフレーズ(金言?)として伝えられています。
〔セカンドステージ連盟 小林正人〕






