これまで浄土真宗の開祖の親鸞聖人が説いた「自業苦」(じごく)と、それを経験した人が達することができる「業苦楽」(ごくらく)について、自分のことを引き合いに出しながら少しずつ書いてきました。
他の人に言わせると“とんでもない自業苦”と思われるようなことですが、それが私にとって業苦楽に変わった転換点や、そのときの思いについては触れずにきたところがあります。
初めて自業苦と業苦楽を知ったときには、自業苦は自業自得で苦しみが続くということで、自業自得とは自らの行為や“しでかしたこと”の結果だと思っていました。
しかし、このコラムを書いて考えを及ばしていく中で、私が取り組んだり、決断したりしたことは、自分の自業だけではなくて、自分と関わる人の自業の影響が私に及んで、その中で喘いできた結果だったのではないかとの思いも浮かんでくるようになりました。
両親の存在と行動は最大の自業となるのでしょうが、父親は米屋の次男、母親は寺院の次女ということで、家を継ぐべき立場ではなかったことから、地域や住まいに拘らないところが昔(私が気づいたとき)からありました。
そのため、“転勤商売”と呼ばれる警察官と奥さんという、どこに暮らすことになるのか、どんな仕事をすることになるのか、どんな人間関係になるのかは人任せのところがありました。
私が生まれたところは母親の実家の寺院(新潟県出雲崎町)だということは何度か書いてきましたが、警察最大の不祥事と後に言われることになった松之山事件の後始末(?)のために父親が事件現場の山奥の駐在所に赴任することになりました。
これについては「自業苦・業苦楽3」に書ける範囲で書きました。
その影響で私は3歳のときに親元を離れて、漁師町の寺院で暮らすことになりました。自分の行く先は自分ではどうにもならない、現状に合わせて生きていくという感覚が芽生えたのが、私にとっての自業苦の始まりであり、業苦楽の始まりでもありました。
〔小林正人〕






