自業苦・業苦楽10 一期一会

坂本九さんの代表曲の一つの『明日があるさ』は、1963年12月のリリースであったので私が8歳の年でした。

そのときには3歳から小学校に入学する直前まで暮らした母親の実家の寺院から出て父母と一緒に暮らすようになってから2年ほどが経っていて、狭いながらも地域環境にも慣れて、新たな居場所も経験していました。

母親の実家(新潟県出雲崎町)は漁師町で、江戸時代のほうが人口が多くて、ずっと減り続けているという地域でした。江戸時代の出雲崎は佐渡島から掘り出された金を受け取って、それを江戸まで運ぶ中継基地の天領でした。

寺院では、祖父母と叔母のおかげで、あまり寂しい思いをしたことはなかった(はず?)のです。父母と暮らすようになったのは山奥の村の警察の駐在所だったので、人と物の出入りが多い寺院と比べたら、寂しいような環境(駐在所は忙しくないほうが平和)でした。

『明日があるさ』(作詞:青島幸男、作曲:中村八大)は、歌詞の内容こそ青春ドラマ風(男子学生の恋心)のコミカルソングでしたが、これから世の中はよくなる、もっと豊かになる、今日は辛くても明日は違う結果が待っているというメッセージソングでもありました。

明日のほうがよい世界であるなら、今を大事にしなくてもよいだろうという考え方がある一方で、今があって明日があるのだから今を大事にしようという考え方もあって、父母は後者の考え方をしていました。

警察官は3年以内に転勤をするのが当たり前で、どうせ引っ越しをすることになるのに、両親は地域の方々の濃密な付き合いをしていました。それが「一期一会」という言葉で表されることは後になって知ったことです。

私の場合は父親の都合で、見知らぬところに転校することになるので、どこまで人間関係を作っても結局は離れていくことになるから、そこそこの付き合いでよいか、という感覚がありました。

それは人の関係というよりも、経験したことを大事にする感覚につながっていって、よい経験をして、それが次につながる人とだけ付き合ってきたところがあります。

「自業苦・業苦楽」の中で、そのことを書くのは、「業苦楽」は楽というよりも“楽しい”という感覚で捉えているからです。ときどきの出会いを自分の糧(かて)にできたのは、その感覚があったからです。

具体的な話は、これから徐々に書いていければと思っています。
〔小林正人〕