金言の真理86「将軍の馬」3

“今太閤”という呼び名は、豊臣秀吉のように低い身分から立身出世して最高権力者になった人物を指す言葉で、高等教育の学歴を持たずに総理大臣にまで上り詰めた駆け上った田中角栄さんの異名となりました。

太閤は、摂政や関白を退いて、その子が摂政か関白の職に就いたときの称号です。

秀吉は関白職を子の秀次に譲ったことで太閤となりました。

太閤秀吉が最高権力者にあったときには、大阪城の新年の挨拶は、家臣の誰もが秀吉のもとを訪れ、その後に重鎮に挨拶に行くということで、重鎮の中でも誰に人気があるのかを推しはかるバロメータになっていました。

秀吉の死後、秀頼が跡を継いだ時の新年の挨拶は、秀頼が初めかと思われていたところが、徳川家康に挨拶をしてから秀頼の元を訪れる家臣が多かったことから、家康は自らが天下を取ることを確信した、と伝えられています。

これを喜びとするだけでなく、反省点とするところが、いかにも家康らしいと伝えられるところで、江戸時代になって新年の挨拶は将軍への拝謁を第一にして、主従関係と身分を確認する場となりました。

これを「将軍の馬」になぞらえると、将軍の馬の葬式だけでなく、将軍本人の葬式にも多くの人が集うようにして、さらに次の将軍のもとにも引き続き従うという万全の権力体制を作り上げたということになります。

将軍の馬の“将軍”と、江戸時代の征夷大将軍の語呂合わせのような感覚で書いておこうかと思ったところもあるものの、なんだか書いていくうちに形としてまとまった感じがしています。
〔セカンドステージ連盟 小林正人〕