徳川家康の遺訓として伝えられている言葉は、後世の創作であったことが研究で明らかにされたという前回(日々邁進22)の話に続いて、後世というのは、いつなのか、ということから始まります。
後世というのは、徳川幕府の15代が終わり、明治維新を迎えてのことです。
幕末期に旧幕臣の池田松之介が徳川光圀作と伝えられる『人の戒め』を元にして書いた『東照宮御遺訓』は、徳川家康の花押をつけた偽文書であることが、これも徳川家康の研究者によって解明されています。
そもそも“徳川光圀作と伝えられる”と書いたように、『人の戒め』も徳川光圀によるものかどうかもわからない状態です。
それなのに徳川家康の遺訓として後生大事に伝えられているのは、幕末の幕臣の高橋泥舟が日光東照宮に奉納して、広く知られることになったからです。
高橋泥舟は山岡鉄舟の義兄で、勝海舟、山岡鉄舟とともに「幕末の三舟」と呼ばれています。
そのことは書籍『そこが知りたい』(ごま書房:刊)の制作にゴーストライターとして加わり、日光東照宮の取材をしたときに聞いて、知っていました。
しかし、あまりに有名な遺訓を「実は違っていた」と書くわけにはいかなかったので、気になりつつも胸に収めてきました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕






