生まれたのは母親の実家の寺院(新潟県出雲崎町)で、浄土真宗ということで、他の宗派とは異なることから、その違いは仏教を学び、葬儀の本質を経験するスタート地点となっていました。
母親の実家での出産は当時は普通のことで、その後は父親の勤務地で暮らしていました。戦後の警察最大の不祥事として今も記録に残る松之山事件が起こり、その影響を受けて3歳から小学生になる直前まで、親元を離れて出雲崎町の寺院で過ごすことになりました。
その事情については、連載コラムの中で何度となく書いてきました。
小学1年生から3年生まで暮らしていたのは山奥の村で、小学校も中学校も春休み、夏休みのほかに、田植え休みと稲刈り休みがありました。農家ではなかったので、田植えと稲刈りの時期は出雲崎町に行っていました。
母親の実家は休みのときには行くところという感覚でした。
高校は父親の実家の柏崎市にあって、親元を離れて通いましたが、学校が休みのときには、父親の勤務地(父母の元)よりも近い母親の実家に行っていました。
大学は上京して、東洋大学で学びました。寺院での経験があり、地元出身の総理大臣の私邸に出入りしたことから政治につきものの葬儀では、他では経験できないことをさせてもらいました。その基礎となる資料は、大学の図書館に数多くありました。
東洋大学は仏教というよりも東洋哲学(特にインド哲学)が有名でしたが、その縁で岡山市の歴史ある寺院の先輩と後輩とつながることができました。
詳しい事情を知りたいという方には、これまでの連載コラムで書いてきたことを抜き出して渡すようにしていますが、さまざまなシーンで経験した葬儀業界の知識は、これから岡山で役立てることができるものと感じています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕






