自業苦・業苦楽13 出身は“原発の街”

このテーマ(自業苦・業苦楽)に限らず、いろいろなところで母親の実家の寺院のことを書いているのは、自分の故郷がどこなのかわからないからで、新潟から高校卒業後に東京に出て、その44年後には岡山に住んでみて、ますますわからなくなっていました。

元々の出身地を聞かれれば、新潟県内の地名をあげるのですが、私が生まれたのが出雲崎町(母親の実家)、本籍地は柏崎市(父親の実家)で、その後は県内でも10か所に住んでいます。

実際に住んだ家ということでは、同地域で移動したことがあり、合計すると県内だけで15か所になります。

新潟県であることは同じであっても、世間的には出身地を聞かれたときには「柏崎市、原発の街」と言っています。

柏崎刈羽原子力発電所の1号機が着工したのは1978年のことで、営業運転が始まったのは1985年です。柏崎に原子力発電所ができることが決定したのは1974年のことで、その時には私は地元出身の総理大臣の私邸に出入りしていたことから、原発計画の詳細を知って、地元に戻ることはないだろうと感じていました。

ちなみに柏崎市は、原子力発電所から半径5km圏内のPAZ(予防的防護措置を準備する区域)に含まれています。
柏崎市に比べると出雲崎町は今でも漁師町で、あまり有名ではないのですが、江戸時代は遠景に見える佐渡島の金山からの金を受け入れて、そこから江戸まで金が運ばれたという天領地でした。

江戸時代のほうが人口が多かったという栄えたところで、その地の庄屋から出家したのが曹洞宗の禅僧の良寛和尚です。

良寛和尚が備中・玉島(岡山県倉敷市)の円通寺で修業したことは岡山では有名な話で、良寛和尚にちなんだ銘菓も有名です。そんなこともあって、良寛和尚の生まれ在所の出雲崎で私も生まれた、そこは寺院だった(宗派は浄土真宗)と話として持ち出しやすいことから、便利に使っています。

その出雲崎町は原子力発電所から18kmほどで、半径30kmのUPZ(原子力災害対策重点区域)に完全に含まれています。
〔小林正人〕