与えられた条件での中で暮らしていくというのは、厳しいようであっても、父親が転勤家業であったことから、限られた住まいで暮らしていくのは子どもの時から身についてしまったところがあります。
その感覚に拍車をかけたのは、良寛和尚の生まれ在所の新潟県出雲崎町で暮らしたことが関係しています。私が生まれた母親の実家は寺院で、3歳から小学校にあがるまでは親元を離れて出雲崎町の寺院で暮らしました。
出雲崎町という共通点で、良寛和尚との関係性を聞かれることがあります。出雲崎町の寺院というだけで、良寛和尚は曹洞宗で、実家は浄土真宗です。
出雲崎町には他宗の寺院もあって、子どものときに3年間、親元から離れて祖父が住職の寺院で暮らしていたときに、宗派の違いによる儀式の違いも知り、曹洞宗の儀式・作法も知りました。
浄土真宗は儲からない宗派という不遜なことも書いてきましたが、それでも住まい(食う寝るところに住むところ)は門徒(他宗では檀家)と比べても質素ということはありませんでした。
良寛和尚は越後最古の古刹の国上寺の五合庵で暮らし、修行先の備中玉島(岡山県倉敷市)の円通寺では高方丈で暮らしていました。禅宗には“方丈”という呼び名があって、質素な生活を営む居室は一丈四方(今の四畳半の広さ)で、五合庵は方丈そのものの広さでした。
僧侶のことを方丈さんと呼ぶことがありますが、そんな質素な住まいで修行をする身ではないだけに、私は日本国憲法(25条)が定める「健康で文化的な最低限度の生活」をしてでも、社会のために役立つことをしたいとの願いはあります。
五合庵のように雨露をしのぐことができて、冬の寒さは厚着をして我慢できるだけ我慢するというようなことはできていないものの、だんだんと方丈さんに近づいてきています。
〔小林正人〕






