見知らぬところで暮らすことの始まりが松之山事件(金言の真理99)なら、その終わりは台湾坊主だったかもしれません。父親が台湾坊主の被害者になったのは「おまんた」で知られるようになった新潟県糸魚川市に勤務していた時のことです。
台湾坊主は、昭和45年(1970年)の2月1日に発生した“爆弾低気圧”のことで、台湾付近で発生した低気圧と日本海低気圧が合体して、東日本と北日本は猛烈な暴風雪と高波が発生しました。
当時の私は中学3年生で、父親は糸魚川警察署(本署)に勤務していて、高波の被害を受けている海岸近くで避難誘導をしていました。10m近くの高波が発生して、海岸護岸が3kmにわたって決壊して、50軒が避難しました。
父親は住民を避難させた後に、自身が高波から逃れようとしていると、高波によって巻き上げられた砂に埋もれて、その上にテトラポッドが乗るという状態になりましたが、自力で地面まで出て、なんとか生還することができました。
入院中も自宅に戻ってからも訪ねてくる方々の第一声が「おまんた」で、あなたたち大丈夫かという家族を気遣った言葉の前の“枕詞”のようなものです。
高校は親元から離れて、父親の実家がある新潟県柏崎市に住んで暮らすようになり、その後は自分の住むところは自分で選択できるようになりました。
1975年から「糸魚川おまんた祭り」が始まり、三波春夫さんが歌う『おまんた囃子』が全国的に流れるようになりました。この年には東京で大学に通っていましたが、「おまんた」を耳にするたびに当時のことを思い浮かべ、この先も住まいを転々とするのかと思っていたのですが、その通りの移住生活を古希となった今も続けています。
〔セカンドステージ連盟 小林正人〕






