人生の分岐点での右か左の選択、つまりYesかNoかの選択は、もう引き返せない、取り消しができないということがほとんどで、後になってから分岐点で別の選択をすればよかったと振り返っても、どうすることもできないという状況が多くなっています。
自分のことを例にすると、新潟から上京して大学に通い始めてから44年間が経ち、知人の誘いで岡山に家族(妻、妻の妹、姉妹の両親)と移住することを決めたときのことです。
知人が示した仕事が本気でなかった、周りの人が困るような判断をしても平気な人だったと思い起こしてみても仕方がないことです。
また、このことを愚痴や怨みつらみで言い続けるだけでは何も好転する余地はありません。
自らの分岐点での決断を否定することは、その決断をした自らを否定することにもなりかねません。
東京にいたときだったら分岐点の前に戻ってやり直すこともできたでしょうが、完全に移住して以前の仕事も友人・知人にバトンタッチして離れた身には、もう戻る道は残されていませんでした。
自分の場合は、移住が目的ではありませんでした。家族の誰もが岡山に縁もゆかりもなく、求められた仕事の場が岡山だっただけです。
その求められた仕事が誘った知人のコンセプト変更で消えてなくなったので、岡山に居続けるのか、それとも東京に戻るのか、はたまた別のところに移住するのか、それを決断するときの判断材料となったのは、何を目的として移住したのかということでした。
コンセプト変更というのは、知人の親に適した介護施設がないので自分で作るという重要コンセプトが、途中で用途が介護予防施設に変わり、最終的には運動設備のある娯楽施設になったという急展開の連続でした。
コンセプトは目的が変わらなければ、また目的を貫くという気持ちが変わらなければ、大きく変更されることはないはずです。それが変更できたということは、周囲に話していたことと実は目的が違っていたということです。
これに気づけなかった自分を責めるのではなく、岡山という経験のない土地で、目的と合致した活動をしていく分岐点を与えてくれた、自分でも想像しなかった“素晴らしい選択”を与えてくれたと後になって思えるように活動をしていくしかないと強く感じています。
そのように思って進めてきた仕事が、一緒に進めてきた人の本当の目的に気づくのが遅くなったことで周りすべてが迷惑を被ったのですが、これも「よい分岐点だった」と言えるかどうかは目的に沿った決断をしたのかどうかにかかってきます。
〔小林正人〕






