金言の真理134「バカは死んでも直らない」3

「バカは死んでも直らない」も「バカは死ななきゃ治らない」も、その出所(でどころ)は“解脱”にあると考えています。

解脱(げだつ)は、仏教用語で、煩悩(ぼんのう)や執着、迷いから解放されて、真理を悟って、心からの自由と安らぎを得ることで、修行の最高目的とされています。最高目的に達するためには、“悟り”が重要となってきます。

インド哲学では、現世の束縛からの解放が重要視されていて、束縛(人間を縛るもの:苦しみ、欲望、執着、生死の恐怖など)から解放されて、絶対的な自由(心が何ものにも縛られず、真理に基づいて清らかになった状態)を得るためには悟りが必要であると説かれています。

究極の悟りは解脱であり、解脱は輪廻転生(生まれ変わり)からの解放とされます。これは悟った仏陀(ぶっだ)が達することができる世界で、通常の人は「死なないと解放されない」と考えられています。

お釈迦様は、亡くなって身体から解放されたときに真に仏陀(悟った人)になったとも伝えられていて、死なないと変わらない(直らない)という考えにつながっていきます。

では、死ななくても解脱できる方法はあるのかというと、解脱は“個の消滅”であって、活きながらにして“個”をなくすことで究極の悟りに近づく(エントリーの権利を得る)ことができるという教えです。

“個”は執着のことで、自らの執着(仏教では我執)を消し去ることが求められます。

根本的な苦しみ(一切皆苦)を、苦しみのない状態に変えていくことは完全には難しいことかもしれませんが、その第一歩が「我執からの脱却」です。

我執は、自分自身の存在に他にない意義があると考え、自己に執着することを指していて、インド哲学では苦しみの根本原因として排斥されるものです。

用語としては「我執が強い」という使い方がされていて、個人の意見やこだわりを強く押し通す(固執する)といった文脈で使われます。そんなことを言われないように邁進していれば「バカは死んでも直らない」と揶揄されることはないはずなのですが。
〔小林正人〕