金言の真理138「覚悟はよいか」2

「覚悟」は、迷いを去り、真実の道理を悟ること、と一般には理解されています。辞書でも、表現に違いはあっても概ね同様の説明がされています。

覚悟は、決断と混同されることがあります。辞書的には、二つの言葉は完全に区分けされています。

〔決断〕昨日までの自分を切り離して、新しい方向へ意志を決定すること
〔覚悟〕今の自分の置かれた環境や、これから背負う責任を引き受けていくこと

覚悟によって背負う責任にはプラスの側面もマイナスの側面も含まれています。

マイナス(負)の責任も引き受けていく覚悟は、これまでを断ち切る(断つことを決める)ことに比べたら、それこそ大きな“決断”が必要であり、“決死の覚悟”で望まなければならないことです。

「覚悟」は覚と悟が結びつけられた言葉で、ともに覚りと悟りという同じ音読み(さとり)をされます。

悟りは、真理に目覚めること、と一般には解釈されています。

これは覚りの意味であって、「苦しみの仕組みを理解して、苦を知り、目を覚ますこと」を指しています。

これに対して悟りは、煩悩に気づいて、心の解放をすることです。

苦しみに立ち向かい、それを克服することができれば“悟る”ことができるわけではありません。

克服をしても、それは現状で可能となったことであって、苦しみを与える出来事の強弱、それを受け止める自らの力(抵抗力、対抗力)の強弱、その出来事の受け止め方によって、以前は克服できたのに、今この時には克服できないこともあります。

そして、心の解放は永遠に続くものとは限りません。

そのような状態であるのに「悟った」と宣言するには相当の勇気がいるはずです。

なぜ苦しみが起こるのかの原因と理由を理解して、その上で苦しみを経験して覚醒することが悟りを超えた本来の覚りであり、それを究明することが重要ということを伝えようとしています。
〔小林正人〕