金言の真理141「覚悟はよいか」5

聖人と呼ばれるような尊い人は悟っている、少なくとも悟りに向かって進んでいるという認識をされがちです。確かに、そのように考えても大筋では間違いではないのでしょうが、浄土真宗の開祖の親鸞聖人は他とは違う“悟り”をしています。

それは「悟れないことを悟った」ことで、これには大きな覚悟が必要なことでした。

浄土真宗に行き着く前は、浄土宗の教えから悟ることを追い求めて修行をしていました。浄土宗と浄土真宗の違いについて、比較して説明されることが多いのですが、二つの宗派の違いではなくて、浄土真宗(真宗十派)だけが異なっています。

どこが違っているのかを端的に説明するなら、浄土真宗は“他力本願”で、他の宗派は表現の違いこそあれ“自力本願”です。

他力本願というと、なんだか人任せ、責任感がないような印象を与えかねない(そのように認識している人が実は多い)のですが、自力では克服することが極めて難しいことに(苦行をものともせずに)立ち向かうのは人間が本来すべきことなのかという考えがあります。

悟れないことを悟った親鸞聖人は、阿弥陀様を信じて、その救いによって迷いから悟りに転換させたいと願う他力本願を、覚悟をもって打ち出しました。

迷いとは、自己中心的な見方によって、真実を知らずに自らの苦しみを作り出している在り方を指しています。これに対する悟りとは、自己中心性を離れ、ありのままの姿を、ありのままに見ることのできる真実の安らぎの在り方と理解されています。

悟りを追い求めることで苦しみ、その苦を知ることで、新たな世界(楽)に気づき、そこに辿り着くこと、そこに向かって覚悟をもって臨むことを親鸞聖人は他にない言葉(用語)で示しています。

それは「業苦楽」(ごくらく)で、この意味と真理については、別の機会に紹介させてもらいます。
〔小林正人〕