金言の真理144 「業苦楽」3

私の母親の実家(新潟県出雲崎町)は浄土真宗の寺院で、私は3歳から6歳(小学校にあがる直前)まで、親元を離れて暮らしていました。

上京して通った東洋大学の学祖(設立者)の井上円了先生は、新潟県来迎寺村(現在は長岡市)の浄土真宗の寺院の出身で、大学の図書館には仏教関連の書籍が、それこそ山のようにありました。

浄土真宗に関する書籍や資料も数多くあり、お寺を継ぐ身ではなかったので、ここしか学ぶ機会はないとの思いもあって、時間さえあれば図書館にこもっていました。そして、初めの数冊で、浄土真宗の開祖の親鸞聖人の教えの一つである「自業苦」(じごく)に行きつきました。

浄土真宗が他の宗派と大きく異なっているのは、地獄が存在しないことです。浄土真宗の信者・門徒は、亡くなったら即座に誰もが極楽にいくことができるという教えがあります。地獄があるとしたら、それは生きている現世に存在していることになります。

そして、それは自らが行ってきた自業によって起こるもので、それは自業自得です。

他の宗派であったら、自業自得は悪い行いをしてきた結果であるので、悪い結果になるということになるのかもしれませんが、そもそも自業自得は良い行いによって良いことが起こることも、悪い行いによって悪いことが起こることも意味しています。

最も悪い出来事は亡くなってから“地獄に堕ちる”ことです。そうならないように必死になって祈る、悪いことをしてきた分を取り戻して、さらに善行を積んでいくということが説かれる宗教・宗派がほとんどかと思います。

これに対して、浄土真宗には地獄が存在していないので(私が育った寺院には他の宗派で目にした地獄絵はなかった)、亡くなってから地獄に行くことはありません。浄土真宗の門徒(信者)が行く先は全員が極楽です。

浄土真宗には亡くなってからの地獄はないわけですが、先に書いた現世に存在しているのは何かというと、これが自業によって苦しむことで、これを「自業苦」と書いて「じごく」と読み、地獄と同様の苦しみの状態を指しています。
〔小林正人〕