OMO 継続の仕組み22 広報支援の始まり

後方支援という言葉は、多くの世界に存在していて、メインの(直接的な)活動ではないものの、重要な役割を務めている人や部門などを指して使われることが多くなっています。

後方支援を受けているときには、本体の人たちは気づかないこともあり、後になってから評価されるというのが、後方支援に携わっている立場では当たり前となっています。

気づかれないように活動するのが後方支援の“芸”のようなものと言われることはあるものの、どこかで気づかれるのが通常のことです。

ところが、まったく気づかれない後方支援があって、それが広報による支援(つまり広報支援)です。

私にとっての“広報支援”は、2001年から始まりました。この年は国の行政改革で厚生省と労働省が統合されて厚生労働省が始まった年で、今も続く健康関連の施策が次々に打ち出されていきました。

通常の霞が関のお役所の年度は4月1日からですが、中央省庁再編は年明けの仕事始め(お役所的には“御用始め”)の日(1月6日)からスタートしました。

通常の年度の3月31日までは、新組織になったとはいっても過渡期の扱いのようなもので、不足する人材は本省(霞が関の本丸)以外の出先から集められたり、関係先からの出向の形が取られました。

今では当たり前のようになっている業界出向も、まだ明確にはされていなくて、私は2つの団体からの出向の形で、霞が関に通うことになりました。

業界出向として送り込まれることになった背景については、先に2回に渡って「病院給食の敵」のお題で書きました(OMO 継続の仕組み20・21)。

ただ、業界の利益のために送り込まれたというよりも受け入れ側との合意というか、最終的には国民の健康づくりの支援になるとの感覚があってのことでした。

その具体的な背景については、次回(OMO 継続の仕組み23)に続きます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕