社会人として初めに手掛けた仕事から、現在までの道のりを説明すると、多くの人は「いろいろと経験してきたのですね」と言ってくれるものの、その必然性まで考えを及ばせる人は極めて少ないと感じています。
大学を卒業してから50年近くも経っていますが、わざわざ“初めに手掛けた仕事”と書いたのかというと、ただ就職をしたということではなくて、一般の新入社員のような経験はしたことがないからです。
そもそも今に至るまで会社員などとして給料を得たことがなくて、初めから業務委託を受けて専門の仕事をしていたか、私が加わって設立した団体で自ら仕事を作ってきたので、普通の会社員、公務員、団体職員の感覚で働いた経験はありません。
それも親が裕福だとか、嫌な仕事をしなくても生きてこられたということではなくて、新潟県の片田舎(柏崎市)から上京して、東京の大学で親の仕送りで学ぶことができただけです。仕送りだけで生活することはできなかったので、当たり前のようにアルバイトをしました。
そのアルバイト先が、郷土選出の衆議院議員の東京の私邸の錦鯉の世話、クラシック音楽専門誌の編集補助、料亭と割烹の調理補助と続き、大学4年生のときには厨房専門誌の編集を手がけていました。
専門誌といっても、いわゆる業界誌ではなくて、厨房機器の工業会(社団法人)の機関誌で、読者は全国の厨房機器会社の社員と関係先という普通なら“狭い世界”の月刊誌でした。
それも発行日には会員の各社と関係する役所に自らが封入して発送するという、極めて手作り感が満載の仕事でした。
狭い世界に見えながらも、取材先でもある国のお役所は、当時の名称で書くと、通商産業省、建設省、自治省、厚生省、労働省、文部省、農林水産省、防衛庁と、思った以上に広範囲でした。
社団法人日本厨房機器工業会(現在は一般社団法人日本厨房工業会)の「月刊厨房」の編集アルバイトは、卒業後にも継続することになりました。
工業会に卒業の挨拶に行ったときに、驚きの話をされました。それは、機関誌の編集を業務委託していた編集者が会社に黙って副業をしていたことが知られて、手を引いてしまったということでした。
そのために、私が業務委託を受けることとなったのですが、たった1年間のアルバイト経験で月刊機関誌を作成するのは大変なことでした。
〔小林正人〕






