厚生労働省に業界出向の先駆けとして霞が関の本省に通うことになったのは、2001年1月6日からでした。
通常のお役所の年度(霞が関に限らず)は4月1日からですが、中央省庁再編による新体制は年明けの仕事始め(お役所的には“御用始め”)の日(1月6日)からスタートしました。
通常の年度の3月31日までの約3か月間は、新体制(厚生省と労働省が合併)になったとはいっても過渡期の扱いのようなもので、不足する人材は本省(霞が関の本丸)以外の出先から集められたり、関係先からの出向の形が取られました。
今では当たり前のようになっている業界出向も、まだ明確にはされていなくて、私は2つの団体からの出向の形で、霞が関に通うことになりました。
その2つは日本メディカル給食協会と日本健康・栄養食品協会でした。前者は病院給食の委託会社の社団法人(現在は公益社団法人)で、後者は健康食品と栄養食品の業界団体の財団法人(現在は公益財団法人)で、ともに唯一の全国組織でした。
私は病院栄養管理や臨床栄養の民間の研究機関に所属していましたが、その代表(所長)が国立病院の栄養士組織のトップであったことから、業務委託には抵抗感を抱いていたのは事実です。
もう一つの抵抗感は健康食品の存在で、栄養指導が必要な患者に、食事が治療の基本であることを告げても、健康食品を利用することで食事指導に従わない、勝手に緩めてしまうということがあって、それに対して何か制度が必要との感覚がありました。
その両方に関わりがあるのは、当時は私だけであったことから、本省に送り込まれた形です。
その期間は長くはなかったものの(初年度プラス3か月の限定)、「保健機能食品等に係るアドバイザリースタッフの養成に基本的考え方について」の通知(2002年2月21日)に関わり、新たな制度のスタートに立ちあうことができました。
これは健康食品・サプリメントの見方を大きく変えさせる“広報支援”になっていた、と後々になって評価されました。
〔セカンドステージ連盟 小林正人〕






