ゴーストライターとして初めに手がけたのはPHP研究所の書籍の『松下政経塾 塾長講話録』で、1981年のことでした。
これをきっかけに15年間かけて150冊分の原稿を書きました。初めのうちは400字詰めの原稿用紙に手書きをしていたので、文量を原稿用紙の枚数で表すのは今も普通の感覚となっています。
単行本1冊は本文が220ページで、これに目次やまえがき、あとがきなどが加わります。ゴーストライターの役割は本文だけですが、そのためには400字詰め原稿用紙で300枚が必要でした。
行間を空けることもなく、句点(。)のたびに改行をすることなく、できるだけ空白なしで書くのが通常のことでした。こうすることで文字数が足りないときでも、編集でスカスカ感なしのギッシリ詰まった書籍にすることができました。
150冊目の原稿を仕上げたのは1995年のことで、その間にはバブル経済期(1986〜1991年)もあり、手書きからワードプロセッサー、パソコンの文字変換ソフトと、パソコンの変遷に合わせて原稿作成をしてきました。
その変遷の中で、腱鞘炎になり、首と腰を傷め、椎間板の変形が神経圧迫から手指の動きが悪くなり、目にも負担がかかり、ついには閃輝暗点が日常的に出るようになって、文章化するための負担がスライド式に高まりました。
1年間に10冊分の原稿を制作する作業だけでなく、1986年からは病院栄養管理HDS研究所の主任研究員にもなり、同年から日本臨床栄養協会の機関誌(季刊発行)の編集を担当しながら、栄養関係の団体の仕事も始まりました。
複数の任意団体の取りまとめ、情報収集・分析・発信という活動は、1995年に任意団体の健康科学情報センターを設立して、代表になってからも1998年まで続きました。
1995年はネット時代の始まりで、1998年にはNPO法人制度が始まり、著者の代わりに原稿を書く時間を集中して取ることができなくなりました。
〔小林正人〕






