「弘法も筆の誤り」というのは、書の達人の弘法大師(空海)が天皇の勅命を受けて平安京大内裏内の応天門の扁額を書き、これが掲げられた後に書き間違いがあったことに気づいたことを指しています。
どんな名人、達人であっても間違いを起こすことを指して使われています。間違いがあるのは仕方がないという意味合いで使われることが多いようですが、ただ間違えただけでなく、その後の行動(成果)が弘法大師の達人たるところです。この話は、あまり伝えられていないようです。
弘法大師が間違えたのは応の一番上の初めの点(うったて)を書き忘れていたということで、筆に墨をつけて、扁額に投げて、見事に点を書き足して完成させたという逸話です。
うったては、書道の書き始め(起筆)という意味だけでなく、筆を強く置く(打ちつける)動作と、そこから筆を立てて書き始める一連の動作に由来して、物事の最初の重要な行いを表しています。
この話を取り上げたのは、報道でも教育でも間違いがあるのは仕方がないとしても、それを後に正しくカバーすることは重要だということを伝えたいからです。
前回はメディアが間違いを修正するのに、ただ謝ったり修正をするだけで、どこが、どのように違っていたのか具体的に伝えてもらわないと間違いが間違いのまま記憶に残ってしまうことの危うさについて書きました。
弘法大師の筆の誤りを即座に修正したという逸話は、そのまま見聞きすると、正しいことのように思われてしまいます。
実は、わざと正しく伝えてはいなくて、それは応天門の応は現在の文字で、当時は應の文字が使われていました。画数が多くて、間違いやすいかもしれないことも考えられますが、それは「應の点を書き忘れた」と伝えられないと真意がわからないことにもなります。
固有名詞なので、略さないでほしいところですが、今でも肩書きを示す文字が違っていることを目にします。それは「慶應義塾大学」の應が応になっていて、慶応義塾大学や、時には慶応大学と略されていることです。
〔小林正人〕






