発達障害児の疎外感の理解2

子どものときの親元を離れた母の実家の寺での生活、父の転勤に伴う転向続きで疎外感を感じたことを前回書きましたが、地域に根をおろした生活をしたことがなかったことから、今は移住先で疎外感を感じずに住むようになっています。といっても、移住後の疎外感を乗り越えられた、という話です。
小学校は親元から通うことになったものの、地域の複数の保育園と幼稚園から来た子どもたちばかりで、それぞれ派閥のようなグループで、自分だけが、どこにも加われないということで、駐在所の隣の歯医者の1つ年上の同窓生と付き合っていました。その子は次男で、長男は後には京都大学から全国農業協同組合中央会に進み、広報部長をされていたときに、たまたま食と健康に関わる臨床栄養の仕事をしていたことから、とても世話になりました。
話を戻して、子どもの疎外感ですが、親の転勤に伴う転向で小学校は3校、中学校は2校に通い、高校は親の出身校に行ったので、また親元から離れ、父の実家の近くのアパート暮らしを経験しました。同郷の大学に進学して、そのまま東京に44年間いて、今は岡山に移住して5年になります。常に余所者のポジションで、どの学校の同級生とも地域的なことで付き合いはなく、今も続いているのは大学の合唱団のメンバーと、大学の校友会の岡山県支部だけです。といってもLINEやFacebookでの交流が主ですが。
岡山には知人もいなくて、私を岡山に呼んだ方には裏切りがあり、まったくの一からの人脈づくりでした。地方は余所者扱いが厳しいとは聞いていて、そのとおりのことをいくつも経験しましたが、過去の余所者経験があったために乗り越えることができて、今は新たな仲間が増えて、疎外感を感じることはありません。そして、岡山に移住してから始めた発達障害児支援では、発達障害児を理解することができる立場にいることを活かして、子どもたちの気持ちに寄り添った支援に当たることができています。
(日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人)