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学習塾は学校の学びを補うもので、発達障害の学習障害に限らず、自閉症スペクトラム障害でも注意欠陥・多動性障害でも、学校では達成することができないことを身につける場として重要な位置付けとなっています。

学習塾というと、学ぶ環境が整えられていることが期待されていて、静かに、集中して学べる室内環境、学習環境が求められます。発達障害児の場合には周囲が気を使って、できるだけ最良の学ぶ環境を与えようとするのが通常のことです。

それがかなえられるかは別にして、よりよい環境こそが、子どものためであり、進学のために役立つものと考えられがちです。しかし、それは本当のことなのか、本当に成果が得られることなのかという疑問も抱かれています。

最良の学習条件は、確かに集中ができて、試験の成績ということでは、よりよい結果が得られるはずです。よりよい環境では、学ぶときも、試験問題を解くときも、よい結果が得られます。

しかし、その試験問題を解いて、よい結果が得られるというのは、教室の中での結果であって、実際に多くのライバルがいる試験会場の中で、試験問題を解くというときになると、そのまま通用するわけではありません。

集中したくても、気を反らせられることが周囲で起こり、試験官の態度が集中力を削いで、記憶を呼び戻す妨げになることが多々あります。ときには他の受験生が邪魔をしてくることもあります。

そんな環境でもあっても、自分の実力が発揮できるようにしておくことが重要で、そういった環境の中でも戦えるように学び、試験のシミュレーションをしておくことが重要になります。

あえて集中しにくいところで学び、試験問題を解いていくという、普通なら非常識と思えるような学習環境が、発達障害がある子どもたちには必要であるということを主張して、そういった環境での学習機会を提供している方々を応援するようにしています。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕

「日本人の食事摂取基準(2025年版)」では、各論のエネルギー・栄養素について説明しています。その中から、エネルギーの基本的事項を紹介します。

◎基本的事項
生体が外界から摂取するエネルギーは、生命機能の維持や身体活動に利用され、その多くは最終的に熱として身体から放出されます。このため、エネルギー摂取量、エネルギー消費量、身体への蓄積量は、これと等しい熱量として表示されます。

国際単位系におけるエネルギーの単位はジュール(j)ですが、栄養学ではカロリー(cal)が用いられることが多くなっています。1Jは非常に小さい単位であるため、kJ(またはMJ)、kcalを用いることが実際的であり、ここでは後者を用いています。

kcalからkJへの換算は、国際連合食糧農業機関・世界保健機関(FAO/WHO)合同特別専門委員会報告に従い、1kcal=4.184kJとしています。

エネルギー摂取量は、食品に含まれる脂質、たんぱく質、炭水化物、アルコールのそれぞれについて、エネルギー換算係数(各成分1g当たりの利用エネルギー量)を用いて算定したものの和です。

一方、エネルギー消費量は、基礎代謝、食後の熱産生、身体活動の3つによるものと分類されます。身体活動は、さらに運動(体力向上を目的に意図的に行うもの)、日常の生活活動、自発的活動(姿勢の保持や筋トーヌスの維持など)の3つに分けられます。

エネルギー収支バランスは、「エネルギー摂取量 – エネルギー消費量」として定義されます。成人においては、その結果が体重と体組成の変化であり、エネルギー摂取量がエネルギー消費量を上回る状態(正のエネルギー収支バランス)が続けば体重は増加し、逆に、エネルギー消費量がエネルギー摂取量を上回る状態(負のエネルギー収支バランス)では体重が減少します。

したがって、短期的なエネルギー収支のアンバランスは、体重や体組成の変化で評価することは可能です。

一方、エネルギー収支のアンバランスは、長期的にはエネルギー摂取量、エネルギー消費量、体重が互いに連動することで調整されます。

例えば、長期にわたってエネルギー制限を続けると、体重減少に伴ってエネルギー消費量やエネルギー摂取量が変化して、体重減少は一定量で頭打ちとなり、エネルギー収支バランスがゼロになる新たな状態に移行します。

多くの成人では、長期間にわたって体重・体組成は比較的一定で、エネルギー収支バランスがほぼゼロに保たれた状態にあります。肥満者もやせの者も、体重、体組成に変化がなければ、エネルギー摂取量とエネルギー消費量は等しくなります。

したがって、健康の保持・増進、生活習慣病予防の観点からは、エネルギー摂取量が必要量を過不足なく充足するだけでは不十分であり、望ましい体格(body mass index:BMI)を維持するエネルギー摂取量(=エネルギー消費量)であることが重要となります。そのため、エネルギーの摂取量と消費量のバランスの維持を示す指標としてBMIを採用しています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「日本人の食事摂取基準(2025年版)」では、各論のエネルギー・栄養素について説明しています。

各論では、エネルギーと栄養素について、食事摂取基準として設定した指標と、その基準(数値)および策定方法を示しています。

各論で使われている用語、指標などの基本的事項や本章で設定した各指標の数値の活用方法は、すべて総論で解説されているので、各論では説明をしません。したがって、総論を十分に理解した上で各論を理解して、活用することが重要です。

なお、各論で設定した各指標の基準は、すべて性・年齢区分それぞれにおける参照体位を想定した値です。参照体位と大きく異なる体位を持つ個人または集団に用いる場合には注意を要します。

また、栄養素の量は、身体活動レベル(カテゴリー)が「ふつう」に該当する場合を想定した値です。この身体活動レベルと大きく異なる身体活動レベルを持つ個人または集団に用いる場合には、注意を要します。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「笑う門には福来る」と対で使われる諺(ことわざ)といえば「渡る世間に鬼はなし」があげられます。「笑う門には福来る」をもじって「笑う門には福は内」という言葉を考えたときに、同時に考えられたのが「渡る世間に鬼は外」でした。

節分の「福は内」と「鬼は外」に合わせたもので、認定講習で「笑う門には福は内」と言ったときには、必ずといっていいほどセットで使うようにしています。

講習で使ったときに、「渡る世間に鬼ばかり」ではないかという質問をされたことがあります。講習の本題ではないのでスルーしてもよいことでしたが、余計な諺もじりを使った手前、答えさせてもらいました。

「渡る世間に鬼ばかり」というのはネット検索してもよく出てくる言葉ですが、これはテレビ番組の橋田壽賀子ドラマの「渡る世間は鬼ばかり」に影響されたようです。

「渡る世間に鬼は外」は「笑う門には福は内」と対だと書いたものの、「渡る世間は鬼ばかり」の影響も受けていて、鬼ばかりの世の中であったら、なおさら「鬼は外」は必要であろうとの考えもありました。

メディカルダイエットの資格認定講習をするときには、追い払いたいのは余計な体脂肪であったり、ダイエットが続けられない弱い気持ちだったりするので、自分のこととして「鬼は外」はわかりやすい表現になります。だから、細かな説明をする必要がないこともあります。

ところが、発達栄養の資格認定講習で、発達障害のこととなると、「渡る世間に鬼は外」の鬼は社会的障壁の話にもなって、なぜ社会的障壁があるのか、社会的障壁とは何なのか、なぜ社会的障壁があると発達障害がある子どもは発達障害児とされてしまうのか、ということまで話さないと理解が進まないことになります。

だから、あまり発達栄養、発達障害、学習障害の講習のときには、余計なことを言わないようにするつもりであっても、ついつい口走ってしまい、説明に時間が取られて、途中から早口になってしまったこともあります。

発達障害児は、発達障害がある子ども(18歳以下)を指して使われる用語ですが、法律(発達障害者支援法)で発達障害がある子どもを指してはいません。発達障害があり、社会的障壁によって生活や学習などに困難さがある子どもが発達障害児となるのであって、社会的障壁さえなければ発達障害児ではないという考えです。

そして、社会的障壁とは何かを認識して、それを取り除くための行動が国にも地方公共団体(自治体)にも住人にも求められているのです。
それが“鬼”の正体であって、節分の豆まきのように豆を外に向かって投げれば、それで済むようなことではありません。掛け声と簡単な行動では対処できないことで、自治体や地域住民に働きかけ、みんなで行動する機運がなければ進まないことです。

発達障害の社会的障壁を取り除くには、相当の覚悟をもった行動が必要ではあるものの、道のりは長いので必死の形相(鬼の形相?)では続けられないことです。

気持ちを楽にして無理をしない範囲で行動をすることが必要だということを示したいので、鬼が外に出て行ったら、続いて福が入ってくることを願って、「笑う門には福は内」という言葉も同時に使うようにしているのです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「環境の日」国連人間環境会議が人間環境宣言をした1972年6月5日にちなんで制定。

「ロコモ予防の日」ロコモティブ・シンドローム予防推進委員会が、6と5でロコモ、老後と読む語呂合わせで制定。

「ろうごの日」神戸市老人福祉施設連盟が、ろう(6)ご(5)の語呂合わせで制定。

毎月5日:「みたらしだんごの日」(山崎製パン)

さまざまな事情があって、幅広い範囲のことを学べない人に対して、学ぶ範囲を狭めて、場合によっては極めて狭い範囲の中でも学ぶ段階を低くして対応することがあります。

その一つの例として、発達障害によって学習に困難さを抱える子どもに対して、生活に役立つこと、生きていくために必要なことを教えることについて、その内容が検討されています。

発達障害がある人は、現れる状態は千差万別で、その対応も千差万別でなければ的確な対応ができないことは随分と知られるようになってきました。

しかし、学習支援は、対象者が多くなればなるほど個別の対応が難しくなります。

どうしても共通した教え方、集団での教え方になりがちです。教えていること自体は個人対応であったとしても、教え方の全体的な仕組みが一定であると、初めから限界を作ってしまうことにもなります。

小学生の場合には、発達障害があると2学年を下げた学習内容になることが多くなっています。小学3年生では1年生、5年生の場合では3年生の理解レベルということです。

これは文部科学省の学習レベルに対しての話であって、学ぶべきことは教室での内容に限定されたものではありません。

コミュニケーション力と対応力に困難さがある子どもは、生活面で常識とされることが身につかず、それが社会生活で問題を起こすことにもなっています。

道路標識の意味がわからなければ、それに従った行動が難しくなることもあります。交通事故の危険性が高まることは普通に想像されることです。安全性の基礎知識がないと生活環境が変わったときに、危険に晒されることにもなります。

電磁調理器の家庭で育った子どもが、火が熱いものだという認識がないために、火に手を近づけて火傷をするという例も少なくありません。

「せめて自分で生きていくことができる知識は身につけさせたい」という声は発達障害児支援施設の指導員などから聞かれることが多いのですが、そういったことが理解できるだけの学習でよいのか、そこは学びの伴歩をしていくときには、考えておかなければならないことです。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕

「相手の素晴らしさを引き出すには聞き手に徹することが大切」というのは、初めて書籍のゴーストライターを務めたときに、その役割を私に振ってきた(任せてくれた)方から、たった一つの注意点として言われたことでした。

その話を伺う方が、経営の神様として知られる大経営者で、日本を支えていく政治経済の人材を育成するために私財を投げ打って塾を開設した日本の大恩人ともいえる方であったので、絶対に失敗してはいけないという感覚でのアドバイスでした。

書籍の発行元は、経営の神様が設立した研究所の名を冠した出版社で、私に振ってくれた方は出版部門の幹部でもあったので、他の心配もあったかもしれません。

二度と会えないかもしれない人からは、聞き出すだけ聞き出してやろうと気負うところがあり、引き出すために自分のこと、自分が経験してきたことも少しは話すというのはゴーストライターやインタビュアーのテクニックとしてはあるのですが、それは封印して臨んできた結果として身についたのは“傾聴”のテクニックでした。

テクニックというよりも、話すことに集中しているときには、それを途絶えさせないように余計な動きはしないようにする、もっと聞きたいときには表情で示す、頷く(うなずく)、重要なキーワードだけを筆記する、といった反応だけでした。

言いたいことを話してもらい、それを聞いているだけですが、もっと話したい、話しながら考えてもらい、もっとよい話をしてもらうということで、できるだけ短い時間で集中してもらうようにしていました。

資料をもらえばわかる、他の人に聞けばわかるということは、インタビューの場では省略して、できるだけ時間を使わせないようにすることを心がけていました。

ただ聞いているだけなのに、話しやすい雰囲気になり、思った以上の話をしたと感じてもらえれば、ゴーストライターの仕事の半分は終わったようなものです。ここまでくれば、その後は引き出したことを文章にしていくだけです。

このときの傾聴のテクニックは、インタビューだけではなく、その後の団体などのコミュニケーションづくりにも役立てることができました。

複数の公益団体の事務局や広報の仕事をさせてもらっていたときには、紹介者が厚生労働省のお役人ということで、活動を探りに送り込まれてきた人(スパイ?)とみられることがありました。

そのようなつもりはなかったものの、団体を構成する会社から送り込まれてきた人もいることから、揉め事が起こらないように違和感やズレ、意見のぶつかり合いは事前に察知して報告することは求められていました。

探りを入れるというのでは警戒されてしまうこともあり、何か言いたいことがあるように感じたときには、一方的に話を聞くだけの傾聴をしていました。そのためには話しやすい雰囲気でいることが必要とされました。

このときの経験は、寄せ集めで仕事をする組織や施設で現場の声をキャッチして、伝えるべきことだけは上に伝えるということとして、今も担っています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

中華料理と中国料理の違いについて前回(そこが知りたい59)は、料理名が同じでも味付けが違うということを中心に書きました。

日本人が好む味付けにしたのが中華料理で、本場の味は中国料理という分類をしましたが、日本の中華料理は「日式中華料理」と中国では呼ばれているという報道を目にしたことがあります。

これは考えてみると妙なことで、中華料理は日本のものということからすると、正しくは「日式中国料理」となるはずです。

そのような混乱があるほど、日本人には中華料理という用語が、中国の料理という受け止め方をされているということです。

味付けだけでなく、食べ方が違うものもあって、刺激が人気の酸辣湯麺は日本で生まれたものです。中国では酸辣湯という酸味と辛味があるスープがあり、これに麺を入れて一つの料理にした酸辣湯麺は日本発祥です。

八宝菜は中国発祥で、8種類の野菜という意味ではなくて多くの食材が使われた料理を意味しています。食材と切り方が異なるだけで日本と中国で大きな違いはないのですが、八宝菜をご飯にかけた中華丼となると、これは日本発祥です。

中華という用語が中国風を意味していると考えれば、普通に思いつくことです。

となると、冷やし中華も日本独特ということで、中国では冷たい料理が主流の地域では冬でも冷たいものを食べていて、逆に熱い料理が主流の地域では夏でも熱いものを食べています。

天津飯は、ご飯にカニ玉を乗せて、甘酢餡をかけた料理で、丼ではなく皿に乗せて提供されます。これは天津(華北平原の北東部)だけでなく、中国にはない日本発祥の中華料理です。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

食物アレルギーがあると、それを少しずつ摂取することで克服させようとする指導がされることがあります。定型発達(発達障害でない)の子どもであれば、アレルギーが出ても大きな影響がない量を摂取することで抵抗力をつけていく方法が有効になることもあります。

そして、アレルギーを起こす物質が含まれている食品でも、徐々に摂取していくことで、食品の栄養成分によって抵抗力をつけることも可能となっています。

ところが、発達障害の場合には、アレルギーの記憶が薄れずに、アレルギーを経験した食品が食べられなくなり、食品の栄養素による有効性を得ることができないということも起こりがちです。

アレルギー物質を除去するのが改善の最善の手段とされた時代もあります。アレルギー物質さえ摂らなければアレルギーは起こらないという発想ですが、アレルギー物質を避けるために、ある特定の食品は何も食べられないということもありました。

肉類では、アレルギーを起こすものを外していったところ、カエルやヘビなどしかないという不幸なことも過去にはあったのです。

現在では免疫学の研究が進み、過剰な免疫反応を抑制するTreg細胞(制御性T細胞)の働きが解明されて、免疫機能が正常であれば、少量ならアレルギー物質を摂取しても対応できる仕組みがあることがわかりました。

ただ、Treg細胞の働きが低下する条件があることもわかりました。

それは疲労、睡眠不足、ストレス、かぜ、生理、温度や湿度の変化、医薬品、花粉などで、これらを避ける生活がすすめられているものの、発達障害児はストレスが強く、自律神経の調整が乱れやすいことから、Treg細胞の働きが充分でないことが指摘されています。

そのため、定型発達児よりもアレルギー物質への配慮が重要になっているのです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「笑う門には福来る」とはいうものの、笑っていれば福が来るとは限らないというのが今の世の中で、笑いが起こるような講習を心がけていれば受講者が満足するということではありません。

もちろん、難しい話を、話す側が難しい顔をして話していれば緊張感が高まり、緊張感が真剣に聞くといくことにつながればよいものの、緊張しすぎて話がよくわからなかった、充分に理解できなかったということにもなります。

自分が聞く側に回ってみると、こんな話し方をしていたら、せっかくの内容が活かされないと感じることもあるのですが、自分が話す立場になってみると、案外と受講者として自分が感じていたことを実はやっていたということに気づかされることもあります。

「笑う門には福来る」は、いつも笑いが絶えない家には自然と幸福がやってくる、いつも明るく朗らかでいれば自ずと幸せがやってくるという意味です。また、悲しいことや苦しいことがあっても、希望を失わずに朗らかに生きていれば幸せが訪れる、という意味でも使われています。

今さら説明はいらないでしょうが、「門」(かど)は家や家族のことで、「福」は幸福、幸せを意味しています。

あるセミナーで講師が「笑う門(もん)には〜」と言っていて、参加者も司会者も指摘しなかったことがありました。別のセミナーで講師が「笑うカドには〜」と言っていたので安心していたら、講習テキストに「笑う角には〜」と書かれていました。

隅み(すみ)っこで笑うのではなくて、世間に向けて大笑いしなければ、と思い浮かべたことがあり、そのときに感じたことが今回の「笑う門には福は内」という諺(ことわざ)のもじりの言葉を使うようになったきっかけとなっています。

「福は内」は「鬼は外」とセットで使われる言葉で、最も出てくる機会が多いのは節分の豆まきのときです。幸運を招く福の神は内に、禍をもたらす鬼は外へということで、福を招き入れてから鬼を追い払うのか、それとも鬼を追い払ってから福を招き入れるのか、順番は本人任せのところがあります。

地域によっては鬼が神様のところもあって、「福は内、鬼も内」と言って豆をまいているところもあり、この順番からいくと「福は内、鬼は外」でよいのかなという感じがあります。

奈良県の天河神社(吉野郡天川村)に行ったときに、その話を聞きました。正式名称は天河大弁財天社といいますが、そのほかにも鬼神社(青森県弘前市)、鬼鎮神社(埼玉県比企郡嵐山町)、稲荷鬼王神社(東京都新宿区歌舞伎町)、大原神社(京都府福知山市)、元興寺(奈良県奈良市)、金峯山寺(奈良県吉野郡吉野町)も「鬼も内」もしくは「鬼は内」と言っているとのことです。

“鬼のような講習”と呼ばれる厳しい内容の講習は存在しているものの、私たちの講習はテーマがメディカルダイエット、サプリメント、発達栄養といったことなので、わざわざ鬼を招き入れる必要がないものです。

明るく、楽しく、笑うところまで行かないとしても笑顔で聞いてもらえる内容となっています。

1時間や2時間の講習なら緊張感も継続できるかもしれませんが、私たちの資格認定講習は短いもので4時間はかかります。それは1回だけで修了する講習の場合で、3段階方式の講習では1回が6時間を原則としています。

3段階方式というのは、初級、中級、上級の3段階で、上位の資格認定者が下位講習を開催できるスタイルになっています。教えられるだけの知識を得るためには各段階で6時間は必要で、そんなに長く緊張が続くものではないので、笑いが出るようなリラックスした環境での講習としています。

中級資格認定者、上級資格認定者は講師の立場になって教えるシステムで、教えるつもりで学び、教える立場で継続的に情報を更新していきます。そのために本部として最新情報を提供し続ける義務があり、“鬼のような情報収集と情報発信”をしなければならないのです。

「笑う門には福は内」の講習の裏には、鬼の形相の頑張りがあり、それを見せないのが私たちの講習の方針なのです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕