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汗をかいたら水を飲む、喉が渇いたら水を飲む、というのは普通に考えられ、普通に実施されていることです。

成人の体内の水分の割合は一般には60%とされています。その多くは細胞内に含まれていて、表皮から汗が出ると、それが血液の中から補われて、それを補うために細胞内の水分が滲み出る形で補われて、血液の濃度が一定に保たれるようになっています。

喉が渇いたと感じたときには体内全体の1%ほどの水分が失われた状態で、かなり喉が渇いたと感じたときには2%ほどが失われた状態だとされています。そして、水を飲まなければ苦しいような状態では3%ほどが失われた状態となっています。

1日の身体の水分の出入りをみると、体から出ていく水分は平均的には尿から1200ml、便から100ml、汗から1000mlとされます。合計で2300mlですが、これと同じ程度の水分を補っています。

その量は食事から1000ml、飲み物から1000ml、そして代謝水として300mlが発生しています。代謝水というのは、全身の細胞の中のミトコンドリアでエネルギー源からエネルギーが作り出されるエネルギー代謝のときに発生する水です。

これで通常はバランスが取れているわけですが、汗を多くかくと余分に1000〜2000mlの水分が失われます。

1%の水分が失われた状態では、体重60kgの人は36kgが水分となる計算です。水分の1kgは1ℓ(1000ml)であるので、360mlとなります。これは小型のペットボトルよりも少し少ない量です。

2%が失われた状態では、この2倍、さらに3%が失われた危機的状態では1ℓの水を飲まなければならないことになります。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

有酸素運動と無酸素運動を繰り返すことによって、赤筋とピンク筋によるエネルギー代謝を高めていくことができます。有酸素運動と無酸素運動を繰り返す運動としては、マシントレーニングと足踏みを交互に30秒間ずつ繰り返すサーキットトレーニングがあります。

サーキットトレーニングは無酸素運動によって筋肉の中に多くの酸素を取り込み、この酸素を有酸素運動で使って、効率よく脂肪のエネルギー代謝を高めていく方法となっています。

このサーキットトレーニングの効果をウォーキングで活用したのがインターバルウォーキングで、無酸素運動系のウォーキングと有酸素ウォーキングを繰り返すことから歩くサーキットトレーニングとも呼ばれています。

速歩と普通歩行を繰り返すことによって脂肪のエネルギー代謝を高めると同時に、白筋も赤筋も強化することができます。

速歩は筋肉にも心肺にも大きな負荷がかかることから長時間は続けにくく、中には生活習慣病などによって禁止される人もいます。そのような人でも安心して続けることができるのが、インターバル式のバウンドボール運動です。

サーキットトレーニングではピンク筋を増やす効果はあまりなく、インターバルウォーキングにはピンク筋を増やす効果はあるものの、あまり高くはありません。

それに対してインターバル式のバウンドボール運動ではピンク筋が増えやすく、赤筋も刺激されることから効果的な有酸素運動となっています。

バウンドボールは室内で実施できることから、感染症のリスクもなく、時間的な制限も少なく、季節や天候に関係なく実施することができます。有酸素運動は長時間継続することでエネルギー代謝が高まるものとされていますが、短時間でも効果が得られる方法となっています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

血液中の中性脂肪は、ブドウ糖と並ぶ重要なエネルギー源です。私たちの身体は、普段から、その二つのエネルギー源を使って活動のためのエネルギーを作り出しています。個人差はあるものの、平常時には 「ブドウ糖60%:脂肪酸40%」くらいの割合で使っています。

脂肪酸は中性脂肪の構成要素で、グリセリド1個に脂肪酸3個が結びついたのが中性脂肪です。

運動をしたときには、すぐに大量のエネルギーが必要になるので、代謝しやすいブドウ糖を多く使います。そのため、エネルギー配分は「ブドウ糖80%:脂肪酸20%」くらいに変わります。

しかし、ブドウ糖は10~15分間しか大きなエネルギーにはならないので、その時間を過ぎると脂肪酸へと主に使用するエネルギー源が切り換わります。エネルギー配分では「ブドウ糖35%:脂肪酸65%」くらいになります。

血液中の中性脂肪が多い場合には、10~15分を超える運動時間が必要で、できれば30分以上のウォーキングをするようにしたいという根拠とされています。

有酸素運動は30分間続けることで、15~20分間の脂肪代謝ができるわけですが、30分間のウォーキングの時間が取れないときには10分間のウォーキングを1日に3回行うことでも同様の効果が期待できます。

10分間のウォーキングでは脂肪の減少が少ないように思われるかもしれませんが、そのときにも脂肪酸が20%ほどは使われています。それに加えて、運動を終えてからも筋肉の中にある脂肪分解酵素のリパーゼが働いている30分間は脂肪酸が代謝し続けています。

1日に1回のウォーキングよりも、3回に分けて歩いたほうが運動後の脂肪減少の機会が3倍になっているので、中性脂肪の減少に、それほど大きな差は出てこないのです。

ウォーキングによって、内臓脂肪がエネルギーとして使われやすいのは全力で運動をしたときの50~60%の負荷がかかった状態です。歩くスピードとしては、スタスタという感じで、腕を前後に大きく振りながら、歩幅も広くする歩き方が、これに当たります。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「黒霧島の日」霧島酒造が、く(9)ろ(6)の語呂合わせで制定。

「黒の日」大口酒造(鹿児島県伊佐市)が、く(9)ろ(6)の語呂合わせで制定。

「黒あめの日」春日井製菓販売が、黒(96)の語呂合わせで制定。

「黒酢の日」ミツカンが、黒(96)の語呂合わせで制定。

「黒豆の日」菊池食品工業(東京都板橋区)が、黒(96)の語呂合わせで制定。

「黒にんにくの日」青森県黒にんにく協会が、黒の語呂合わせで制定。

「クロレッツの日」モンデリーズ・ジャパンが、ク(9)ロ(6)レッツの語呂合わせで制定。

「生クリームの日」中沢乳業(東京都港区)が、ク(9)リーム(6)の語呂合わせで制定。

「浅田飴の日」浅田飴が、固形浅田飴ク(9)ール(6)Sの語呂合わせで制定。

「飴の日」松本飴プロジェクトが、日本書紀の神武天皇記に9月6日に飴を作ったと推察される記載があることから制定。

「甲斐の銘菓くろ玉の日」澤田屋(山梨県甲府市)が、く(9)ろ(6)の語呂合わせで制定。

「クロレラの日」サン・クロレラが、ク(9)ロ(6)レラの語呂合わせで制定。

「鹿児島黒牛・黒豚の日」鹿児島黒牛黒豚銘柄販売促進協議会が、黒(96)の語呂合わせで制定。

「のどぐろ感謝の日」日本海(島根県出雲市)が、9月はのどぐろ漁が始まる時期で、ぐ(9)ろ(6)の語呂合わせで制定。

「黒舞茸の日」大平きのこ研究所(埼玉県飯能市)が、黒舞茸のく(9)ろ(6)の語呂合わせで制定。

「ブラックサンダーの日」有楽製菓(東京都小平市)が、ブラックサンダーにちなんで黒=く(9)ろ(6)の語呂合わせで制定。

「クロモジの日」養命酒製造のクロモジ研究会が、ク(9)ロ(6)モジの語呂合わせで制定。

「ぐるぐるグルコサミンの日」世田谷自然食品が、グ(9)ル(6)の語呂合わせで制定。

「キョロちゃんの日(森永チョコボールの日)」森永製菓が、キョ(9)ロ(6)の語呂合わせで制定。

「スポーツボランティアの日」日本スポーツボランティア・アソシエーションが、福島・復興五輪:オリ・パラ後夜祭の開催予定日から制定。

毎月6日:「メロンの日」(全国メロンサミットinほこた開催実行委員会)、「手巻きロールケーキの日」(モンテール)、「手巻きロールの日」(モンテール)

厚生省と労働省が合併して厚生労働省となったのは2001年のことですが、合併前に両省が合同して始めたのがTHP(Total Health Promotion)運動で、それは1987年のことでした。

これは産業界で働く人たちの健康診断の結果に合わせて、健康の維持・増進を目的として産業医の診断に基づいて各専門家が指導を行う仕組みで、その専門家として指定されたのは栄養、運動、保健、心理の4分野でした。

それぞれの指導の資格が設けられ、栄養(産業栄養指導者)、運動(ヘルスケア・トレーナー)、保健(産業保健指導者)、心理(心理相談員)の各分野で、新たに団体が設立されました。

私は、臨床栄養のH.D.S.研究所で主任を務めていましたが、研究所の山本辰芳所長が中心となって1992年に立ち上げたのが産業栄養指導者会でした。その事務局の運営と広報紙の作成も、私の役目となりました。

栄養、運動、保健、心理の各分野は単独で解決できることは少なく、それぞれに関連があり、健康づくりのためには複数の手法を組み合わせることによって効果が高められることは、長年の研究で明らかにされてきました。

私たちは、臨床栄養の研究を始めたときから、組み合わせの重要性は認識していましたが、理論の裏付けをしてくれるような公の活動がなかったことから、なかなか進まないという感覚がありました。

それを解決に導いてくれたのがTHP運動で、厚生労働省の栄養関係部署のお役人と山本辰芳所長の深い関係もあって、組み合わせの有効性は理解されやすい環境もありました。

当時の厚生労働省の栄養関係部署の栄養士・管理栄養士は、国立病院からの出向だったことから、国立病院の栄養士・管理栄養士の組織の会長であった山本辰芳にとっては、お役人が後輩であることから何かと交流をさせてもらっていました。

組み合わせの基本となるのは食事と運動ですが、これに入浴を加えた三角形(食事×運動、食事×入浴、運動×入浴)のタイミングによって効果的な体脂肪の増減の手法がメディカルダイエット研究の基本となりました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

左利きの割合は世界的には10%とされていますが、日本では11%と少しだけ多くなっています。左利きであっても文字は右手で書くという指導が、かつては行われてきたことから、今から50年ほど前は左利きの割合は6.5%となっていました。

この差は、強制されて、もしくは矯正されて文字が書きにくい状態で書き続けてきた人ということで、脳の機能と使う手の動きが合わないまま苦労をしてきた結果、それが学習の状況にも少なからず影響を与えてきました。

利き手に関係するのは脳の右脳と左脳のバランスで、右利きの人は左脳が優位に働き、左利きの人は右脳が優位に働いていると言われます。右脳の働きは男性ホルモンのテストステロンによって影響を受けることが知られています。

また、男性ホルモンのアンドロゲンが左脳の発達を遅れさせるという研究もあり、男性のほうが左利きが現れやすくなっています。これを右利きに矯正しようと強制することは男性のほうが脳の負担が大きくなることを示しています。

左脳は言語や論理的に考えるときに働く思考・論理の脳で、右脳はイメージや感覚的な働きをする知覚・感性の脳であると一般に分類されています。

右脳は芸術家や天才の脳だとも説明されることから、左利きの人は優れた才能が秘められていると期待されて、これを引き出す教育が求められています。

これは発達障害児にギフテッドを期待するのと同じで、知性、創造性、芸術、特定の学術分野の潜在的な能力があるので、学校の生活に適合しにくいことから、せっかくの能力が引き出せていないとの考えがあります。

子どもの能力を引き出すためには、無理をさせずに学習に取り組むことができる環境を整える必要がありますが、左利きの子どもに右利き用のハサミを使って紙切りをさせることを続けていたら、なかなか上手に使えない、結果が出せないということにもなります。

鉛筆に右利き用、左利き用の区別はないので、どちらの手でも書くことはできます。

しかし、文字の形は右利き用になっています。それを左手で書くことは、脳に負担が強くかかることになります。それが学習に時間がかかり、解答の制限時間に間に合わないことにもなります。

それを意識して、左利きの子どもの学業技能(学習のために必要な技能)を高めるのと同じように、学習障害の子どもの学業技能についても考えるようにしてほしいのです。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕

積極的に学ぼうとしている人の伴歩をすることによって、伴歩する側の講師なども学ぶことが多い、という話は「学びの伴歩」のメリットとして以前から書いてきました。伴歩を続けるためには、伴歩をする人を支援してもらえる方々の存在が重要になります。

学びの伴歩をボランティアで実施して、その費用も支援によって賄っているところでは、活動への伴歩、つまり学びの伴歩と伴歩してもらえる方に対して、何を返すことができるのかということも大きなテーマとなります。

社会課題の解決のための学びの場と機会を提供する活動に対して寄付や支援を求めることがあります。ボランティア活動であるので、何かを返すとしても“気持ち”程度であって、感謝の言葉や形にするにしても感謝状という紙で終わることが少なくありません。

感謝状の贈呈に副賞をつけるとか、協力者としてホームページなどに掲載するということではなくて、「健康リターン」という考え方があります。

継続的な支援をしていただけるのも健康であるからで、それは個人の身体のことだけではなくて、会社や団体の健全な活動があってのことです。

健全な活動は、働く人の健康があって成り立つものであることから、伴歩をする人への伴歩は、健康づくりのための情報提供や指導者の紹介、場合によっては学びの伴歩を実施している私たちが講師の立場になって健康づくりの支援をすることが重要になるとの認識をしています。

その健康リターンに必要な講習については、特定非営利活動法人セカンドステージ連盟を構成する各団体(特定非営利活動法人、一般社団法人)が保持するコンテンツを基本としますが、どれも働く人(青年から高齢者まで)に合わせたアレンジな可能な内容となっています。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕

血糖値が高めの人には、ウォーキングなどの持久運動のほかに、筋肉をつけるための強化運動も指導されることが多くなっています。

血糖値が高い人は、筋肉細胞にブドウ糖を取り込んでエネルギーとする力が弱くなるため、ブドウ糖の代わりに脂肪もエネルギーとして使われるようになります。

そのために糖尿病まで進むと脂肪がエネルギーとして使われるために、だんだんとやせてきます。また、筋肉に蓄えられているたんぱく質もエネルギーとして使われるために、筋肉が衰えていくようになります。

糖尿病予備群と呼ばれる血糖値が高い状態では、筋肉が急に減っていくようなことはないものの、筋肉への負荷が不足すると徐々に筋肉が衰えていくことになります。

ブドウ糖は筋肉が主に使っているので、筋肉の量が増えることは、それだけブドウ糖が筋肉に取り込まれることになり、血糖値も下がりやすくなります。

筋肉の量を増やす方法には二つの方法があります。一つはマシンやバーベルなどを使って、筋繊維に損傷を加えることによって成長ホルモン(HGH)を分泌させ、筋肉を修復肥大させるというパワーレジスタンスです。

もう一つの方法は、軽い負荷をかけながら有酸素運動を続けることで、筋肉がブドウ糖を代謝させる筋代謝力を高めていく方法です。

ただ、歩くだけでなく、筋肉にある程度の力を加えることによって筋肉をパンプアップさせ、筋肉内部の毛細血管内の酸欠状態を作り出して乳酸を蓄積させながら歩く方法なら、あたかも激しい運動を行っているのと同じように脳に錯覚させます。

そして、脳の下垂体より大量の成長ホルモンを分泌させることによって筋肉を太らせることができます。これをスローレジスタンスと呼んでいます。

筋肉の能力というと瞬発力と持久力があげられていますが、もう一つ筋代謝力が特に注目されています。これは筋肉がブドウ糖や脂肪酸を代謝させる能力のことで、有酸素運動を続けることで高まっていくので、筋代謝力を高めるためにもウォーキングは有効です。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「石炭の日(クリーン・コール・デー)」クリーン・コール・デー実行委員会が、ク(9)リーンコ(5)ールの語呂合わせで制定。

毎月5日:「みたらしだんごの日」(山崎製パン)

私の経歴を広く伝えるときには、厨房業界から臨床栄養の世界に進展して、それ以降は食事、運動、保健と健康づくりに関わる仕事を進めてきた、ということにしています。

前回の最後に厨房・料理の世界から臨床栄養の世界に移る31歳までの途中に、同時にスポーツ雑誌の編集、書籍の執筆をしてきたと書きました。

スポーツ雑誌の編集に関わったのは「月刊バレーボール」が最初で、23歳のときでした。大学を卒業して日本厨房機器工業会の機関誌「月刊厨房」の編集を業務委託で始めてから、まだ半年後のことでした。

その当時は空前のバレーボールブームで、人手が足りないということで、日本バレーボール協会の役員の依頼で、初めは国際大会が日本で開催されたときの特集号の編集だけの予定でした。

ところが、本誌のほうの編集も手伝うようになり、24歳のときには同じ会社が発行する「月刊バスケットボール」、25歳のときには「月刊テニスクラシック」の編集もプラスで手伝いました。異なる雑誌といっても同じ部屋の中のことで、3誌の定期刊行物の編集を並行してこなすのは、流石に大変でした。

この掛け持ちを止めることになったのは、26歳になったときに、「月刊バレーボール」の編集部員から書籍の編集の手伝いの話があったからです。その方はPHP研究所の出版部の出身で、新たな書籍のテープ起こし(講演のテープを聞きながら原稿にする)ということで、これまでの仕事の延長くらいの気持ちで気楽に受けました。

渡されたカセットテープは、松下政経塾の塾長(松下幸之助さん)の講話でした。話の内容を原稿にすればよいだけと聞いていたのですが、手書きした400字詰め原稿用紙300枚分を渡しに行ったら、依頼したのは書籍にする原稿だったと言われました。

そのようなことは聞いていなかったのですが、いつまでに書き直せるかと聞かれたときに、もう一つの原稿を出しました。それが採用されたのですが、ただのテープ起こしだけでは面白くないという気持ちがあってのことです。

1回きりの仕事のつもりで、以前に塾長の書籍を個人的に読んでいたこともあって、執筆文と講話の違いはあるものの、こんな書籍なら読んでみたいというつもりで、趣味の感覚で余計に300枚分を書いていました。

初版は7000部だったのですが、発行された日のうちに増刷が決まり、その売れ行きの良さからシリーズで発行することも決まりました。

そのシリーズも担当することになり、これをきっかけに書籍を忙しい著者に代わって書くゴーストライターの仕事が始まりました。初めこそ手書きでしたが、ワープロからパソコンへと移っていって、40歳のときまで15年間でPHP研究所だけで150冊を書かせてもらいました。

編集の手が足りないときには、入稿作業のレイアウトも文字校正も手伝っていました。

31歳からは病院栄養管理HDS研究所の主任研究員となって、複数の団体の機関誌を担当することになったので、ゴーストライターの仕事と重なっていた期間は10年近くになります。

といっても、ゴーストライターは月に1冊くらいのペースで、初めの頃の週に1冊に比べたら楽だと感じるほど、とにかく書き続けていました。

私が40歳になった1995年は、Windows95の時代となり、ネット時代は出版がデジタルになることが想像されていたので、これを最後にした専門分野へと移っていきました。

それ以降のことは、「日々修行」の中で書いているので、略そうと思うのですが、要望があれば書いてみようかとも思っています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕