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医療の基本は検査をして、病名を特定して、それを改善することです。まずは検査をすることが重要ということを伝えるために、メディアでも「とにかく検査を受けよう」ということが強調されています。

検査をしないことには体調不良があったとしても、その原因を把握することはできません。また、体調不良がないとしても、変化に気づいていないだけで、検査をしないと本当のところはわからないというように言われます。

検査は人間ドックのように全身の状態を詳細に調べる方法であっても、診断は個別の状態が注目されます。全身を診ているから全身の関わりを把握して対処するための検査ではないのです。

身体は相関性があって、重要な器官はつながりをもって違いに影響を及ぼしあっています。特に有名なのは腸脳相関で、消化・吸収・排泄を行う腸と、刺激に反応して身体の働きを調整している脳神経は別々の元と考えられがちですが、実は密接に関係しています。

よく言われるのは、ストレスを感じると腹が痛くなり、腹の調子が悪いと不安が高まって脳の働きが低下するという単純なことではないのです。例を一つだけあげると、重要な神経伝達物質のセロトニンは脳神経で使われるものなのに、その90%ほどは腸内で合成されるという関係性になっています。

こういったことは、健康を全体的に考えていこうということで、統合医療という言葉を用いて説明されることがあります。ところが、日本では統合医療というと医療行為(主に西洋医学)に、それ以外のものを組み合わせた追加の代替医療が着目されることが多くなっていて、全体的に調整することが最重要で考えられていないところがあります。

では、どうすべきなのか、という話は次回に書かせてもらいます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

年齢を重ねても働くことができる制度の導入は、ベテラン世代の心身の衰えだけでなく、さまざまなロスとの戦い(体力、お金、地位、家族、友人など)もあり、モチベーションの維持が働き続けるための重要なポイントとなります。

モチベーションを保つには、生きがいが重要となります。生きがいは、「生きる価値」「生きることの喜び・張り合い」を意味していますが、長寿地域を意味する「ブルーゾーン」の概念を広めたアメリカの研究者のダン・ビュイトナーが、沖縄の長寿の理由の一つとして「ikigai(生きがい)」に言及してから欧米で広く知られるようになりました。

日本語の生きがいを的確に表現する英語がないことから、「ikigai」が使われています。これは今や「Mottainai」(もったいない)、「Arigatai」(ありがたい)と並ぶ、日本人の特性・気質を表す用語として確立されています。

それをきっかけに、「ikigai」は「仕事と人生の質を向上させるための日本特有の概念」として世界規模で認識されるようになり、概念図も広まりました。

日本では「社会が求めていること(必要とされる)」「得意なこと」「好きなこと」「お金になること(稼げる)」の4つの構成要素で表され、重なり合った部分に相乗効果が生まれ、これが「ikigai」とされています。

「好きなこと」であり、これが「得意なこと」であると、情熱(Passion)をもって進めることができます。これだけでは趣味の世界で終わりかねないことかもしれませんが、「好きなこと」が「社会が求めていること」でもあると使命(Mission)として継続することができます。

「得意なこと」が「お金になること」であると、これは専門(Profession)となって事業になります。しかし、これだけでは継続性は不安定であり、「好きなこと」「社会が求めていること」と重なることで継続性が高まります。

そして、「社会が求めること」と「お金になること」が重なると、これは天職(Vocation)となります。天職である上に、「好きなこと」「得意なこと」が重なると、これが「ikigai」となって強いモチベーションを構築するとなります。

これまでの経験と知識、人脈などをもって新たな世界(セカンドステージ)に踏み出すためのキーワードが「生きがい」であり、4つの構成要素のバランスをとりながら自らの生きがい(ikigai)を常に考え、見直し、推し進めていくことが重要であることを広く伝えています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

定年退職年齢を65歳にして、さらに70歳まで希望をすれば働くことができる制度は、さまざまな社会情勢の変化だけでなく、高齢者の健康度の向上も影響を与えています。

2017年に日本老年学会と日本老年医学会が、これまでの前期高齢者(65〜74歳)、後期高齢者(75歳以上)とされてきた高齢者の区分を、准高齢者(65〜74歳)、高齢者(75〜89歳)、超高齢者(90歳以上)とすることを提言しました。

提言の根拠として、10年前に比べて心身の状態が10〜20年も若返っているとの研究成果を掲げています。10〜20年も若返っているとすると、准高齢者は高齢者ではなく、55〜64歳に相当する体力と認知力であるとのことから、社会を支える側となることがわかります。

内閣府の調査では、自分が高齢者だと感じている人の割合(2021年)は、男性では60〜64歳が19.1%、65〜69歳が30.7%、女性では60〜64歳が15.4%、65〜69歳が34.3%となっています。

また、何歳くらいまで仕事をしたいかを聞いていますが、その割合(2019年)は、男女平均で65歳くらいまでが25.6%、70歳くらいまでが21.7%、75歳くらいまでが11.9%となっています。定年退職年齢が引き上げられると、この割合も大きく伸びることが推測されています。

両学会の提言によって准高齢者は高齢社会において支えられる側から支える側になることが示されました。高齢者の若返りの理由としては、身体的な状態だけでなく、社会参加による精神的な若さの保持も大きな要因としてあげられています。

65歳までの就労、65歳を超えての就労は、より若さを保つことにつながるだけに、今回の定年退職年齢の引き上げ、高齢になっても働ける環境は、日本人の健康に対する意識を高め、実際の結果につながる大転換の時期ということができます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

現在のベテラン世代は、60歳定年を目指して働いてきました。今回の改正による65歳定年への延長は、長距離走の目標として定めていたゴールが急に先に延ばされたように感じる人も多く、これに対してベテラン世代は、さまざまな反応があります。

「元気なうちは働きたい」という前向きな人がいる一方で、体力や気力の面で不安を感じている人も少なくありません。

60歳のゴールを目標にして、体力や健康度などと仕事の負荷を勘案して、仕事の内容やペースを決めてきたところが、急に5年先まで続けなければならない状況に対して、「無理がきかない」「体力が続くかわからない」という不安が生じるのは当然のことです。

これまでの職場で、同じように勤めるのであれば大丈夫ということではあっても、移動や再任用、経験のない仕事をすることになると、これまでにやってきた経験と知識が活かせないのではないかという不安も生じます。

また、年齢的には60歳を過ぎると家族(親などの)介護の問題も大きくなり、これまでのライフ・ワーク・バランス(仕事と生活の調和)のライフに占める介護の割合が大きな負担となることもあり、介護と仕事の両立ができるかわからないという不安も膨らんできます。

また、年金の問題も影響が大きく、現役世代でも実質賃金が生活費の上昇分を下回っていた期間が長らく続き、長生きすると老後資金が2000万円に達すると言われる中、どこまで働き続けなければならないのかという不安があり、さらに追い討ちをかけるのが健康面での不安です。

日本人の生涯医療費は約2800万円と膨大な額に達しており、その半分は70歳以降に使われています。男性の平均寿命が80歳とすると、わずか10年の間に1400万円が使われている計算になります。

このような状況も高齢者になってからの仕事の継続の不安を大きくさせる要因となっています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

日本は世界一の長寿国(男性81.47歳、女性87.57歳)で、さらに平均寿命は延び続けています。2040年には男性が83.27歳、女性が89.63歳、2060年には男性が84.19歳、女性が90.93歳になると推測されています。

現在の国民の平均年齢は49.1歳と、これも世界一の水準にあります。日本の女性は半分が50歳以上という状況です。

超高齢社会(高齢化率21%以上)になった2007年から17年が経ち、高齢化率は2024年には30.0%、2040年には36.3%にも達すると予測されています。

超高齢社会は、現役世代(15〜64歳)が大きく減る時代でもあり、中でも働き盛りと呼ばれる壮年期の40歳以降の人口が不足していく現状があります。さらに労働人口の減少が予測される中で、高齢者の就業機会の確保や働く場の整備が進められています。

これを受ける形で、高年齢者雇用安定法の一部が2021年4月に改正されました。高齢者の就労は、これまで個人の問題とされてきたところがありましたが、今や国や企業・団体が見直しを迫られる時代となってきているのです。

高年齢者雇用安定法の一部改正から4年を経て、企業・団体で働く人の定年退職年齢は2025年4月から65歳までとなり、それまでの継続雇用が義務化されます。また、定年を超えても働きたいと希望する従業員全員を70歳まで雇用する必要が生じます。

これは高年齢者雇用安定法に基づく高齢者就業確保措置で、65歳まで雇用確保(義務)に加えて、65歳から70歳までの就業機会を確保するため、以下のいずれかの措置を講じる努力義務が新たに設けられています。

 ①70歳までの定年引き上げ
 ②定年制の廃止
 ③70歳までの継続雇用制度の導入
 ④70歳まで継続的に業務委託契約を締結する制度の導入
 ⑤70歳まで継続的に以下の事業に従事できる制度の導入
  ・事業主が自ら実施する社会貢献事業
  ・事業主が委託、出資(資金提供)等する団体が行う社会貢献事業

④と⑤は、創業支援等措置(雇用によらない措置)で、従来までの職員ではなく業務委託契約(フリーランス)として働く形態と、社会貢献事業での活動となります。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

歯の形と本数から栄養バランスを考えることについては前回(健康思想9)紹介しました。それを受けて、何を、どれくらい食べるのがよいかということを考察していきます。

歯の種類と数から考えると、肉食が増えてきたことから現状の食事では犬歯が上下に4本ずつあってもよいような状況になっています。また、あまり噛まずに済む食生活では臼歯の本数が少なくてもよいような状況ともなっています。

しかし、歯の形と本数から考えると、食べすぎの肉を減らし、野菜や穀類、豆類を増やすべきで、これによって血管に負担をかける脂肪を減らし、血圧や中性脂肪値などを安定させるために役立つ食物繊維、ビタミン、ミネラルを多く摂ることができます。

将来的に生活習慣病を予防するための食生活を身につけるためにも、歯のバランスに合った食事内容を考えるようにしたいものです。

野菜の摂取量を日本とアメリカで比較すると、日本人のほうが多く食べているような印象があります。昭和50年代までは日本人は野菜に多く含まれる食物繊維の摂取量が多いために大腸がんは少ないものの胃粘膜を傷つけやすいために胃がんが多くなっていました。アメリカでは逆に胃がんが少なく、大腸がんが多くなっていました。

しかし、日本人では野菜の摂取量が年々減少傾向にあることに対して、アメリカ人では健康志向の高まりから増加傾向になりました。アメリカ人でも今では野菜の摂取量は減少傾向にありますが、それでも日本人よりも多いのが現状です。

人間の歯のバランスに合った食事が最もよい栄養バランスということになりますが、これに合致しているのは昭和30年から40年前半の日本人の食事だったといいます。平均寿命が大きく延び、生活習慣病が少ない理想的な状態だったわけです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「育休を考える日」積水ハウスが育児休業を促進するために育児(19)と休(9)の語呂合わせで制定。

「愛知のいちじくの日」JAあいち経済連が、いちじくの出回り時期(7〜10月)で、いち(1)じく(9)の語呂合わせで制定。

毎月19日:「いいきゅうりの日」(いいきゅうりの日プロジェクト)、「松阪牛の日」(やまとダイニング)、「熟カレーの日」(江崎グリコ)、「シュークリームの日」(モンテール)、「クレープの日」(モンテール)、「食育の日」(食育推進会議)、「イクラの日」(カッパ・クリエイト)

大学を卒業してから50年近くを経た今も、就職をしたことがありません。そのため、給料もボーナスももらったことがなくて、周囲から物知りと言われることがあっても、会社組織や給与支払いのことはイマイチ把握ができていないことがあります。

卒業時には就職難の時期で、就職浪人が普通にあって、大学受験で浪人をして就職時に浪人をして、年齢の問題で就職できずに自分で稼ぐしかないという同級生、同窓生が何人かいました。

今回のお題の「組織に属さない50年間」は大学卒業後からのカウントではなくて、大学生のときに仕事をして分も含めています。その仕事はアルバイトではなく、今の時代のような起業でもなくて、仕事として学業と両立させていました。

といっても“二足の草鞋”ということではなくて、大学で学んでいたことと仕事に通じるところがあって、まさに両立させているという感覚で働いていました。

詳しくは別の機会に書いていきますが、大学1年生のときには政治家の私邸で錦鯉の世話をしていて、年を経るごとに回数こそ減ったものの3年生まで続きました。2年生のときにはクラシック音楽専門誌の編集と原稿書きをして、これは3年生まで続きました。

3年生のときには知人の親戚の割烹で調理補助を始めて、これは4年生まで続けました。4年生のときには、クラシック音楽専門誌の編集長のお父様を通じて知り合った出版社の社長の関係で厨房機器の業界団体の月刊機関誌の取材・執筆・編集が始まりました。

この仕事は1年限りの約束だったのですが、就職先を紹介してくれるという親戚が持ち込んできた話が反故にされて、卒業後も機関誌の仕事を継続することになりました。

親戚の人は業界紙の編集部にいて、そこに就職できるので他の会社への就職活動はしないように、と言われていました。社長にも挨拶をして、機関誌の編集の仕事の実績を見てもらい、気に入ってもらっていました。

そろそろ卒業の時期ということで、その社長に連絡をしたところ、驚きの出来事を知りました。親戚の人は、すでに退職をしていて、私の就職先は親戚の人が責任を持って探すから、と聞かされていたとのことでした。

何があったのかと親戚の人に連絡をしたら、謝りや説明をする前に、私がやってきた機関誌の編集を自分にもやらせてもらえないかと言われましたが、さすがに断りました。

業界団体に行って、仕事がなくなったことを伝えました。

そのときに専務理事から、機関誌の編集を続けてほしいとの話がありました。しかも間接的なアルバイトではなく、私が直接受けて手がけるということでした。その理由として聞かされたのは、受けていた出版社はオーナーに隠れての秘密のアルバイトで、それがバレてしまって手を引かざるを得なくなったとのことでした。

なんだか、他人の思惑に振り交わされた感じでしたが、そのときの編集経験が、その後の病院調理師団体の機関誌、臨床栄養の機関誌、病院給食業界の機関誌、巡回健診団体の機関誌、サプリメント講習の講師、運動関連団体の理事としての活動へとつながるスタート地点となりました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

7つの表情分析のうち、前回の3つ(喜び、悲しみ、怒り)に続いて、4つの表情分析を紹介します。

◎嫌悪(Disqust)
嫌悪の表情には2つの異なったパターンが見られます。単純な表情では上唇が上がっているだけですが、もう一つの表情は鼻にシワが強く寄るために眉は引き下げられ、目は細くなります。

下唇は押し上げられ、口は閉じられるのですが、鼻にシワが寄る嫌悪の表情では唇が開く場合もあります。どちらの表情もU字形のシワが鼻孔から唇にかけて見られます。

嫌悪の表情は、前回紹介した怒りの表情と混同されることがあります。どちらの表情も唇は閉じられていますが、怒りの表情のほうが強く閉じられています。

視線は怒りのほうが嫌悪よりも強く凝視している感じになります。眉はともに引き下げられますが、怒りの表情では眉はしかめっ面のように眉が寄ります。

嫌悪の表情の変化は、全て顔の中央線で起こるという特徴があります。

◎軽蔑(Contempt)
軽蔑の表情は、顔面の片側だけの動きが見られます。唇の端が吊り上がり、わずかな微笑みを伴う場合と、伴わない場合があります。

◎恐れ(Fear)
恐れの表情は、眉は吊り上がりますが、同時に緊張して、額に対して水平に、波状の形状となります。上まぶたは強く引き上がり、下まぶたは緊張しています。そして、唇は水平方向に引き伸ばされます。

◎驚き(Surprise)
驚きの表情では、眉は上がり、アーチを描くように丸い形になります。上まぶたも上がり、時として眼の虹彩より上までになります。そのために白目の部分が見えます。驚きの表情では、すべて口が丸く開きます。

恐れの表情と驚きの表情は、よく混同されます。眉はともに吊り上がりますが、恐れの表情では眉はまっすぐ吊り上がっています。驚きの表情では眉の形がカーブします。

上瞼は、ともに持ち上がりますが。恐れの表情のほうが強く持ち上がります。唇は両方の表情ともに開きますが、驚きの表情では唇はリラックスしているのに対して、恐れの表情では唇は水平方向に引き伸ばされます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

よいことは、いつまでも続くと思いがちであり、そう願うのは当たり前の感覚です。ところが、そうはいかないのが世の中で、変化が急速に進んでいる時代には「常に足場が失われる変化を考えて備えておく」という心構えが必要になります。

レコードからCD(コンパクトディスク)に時代が移ったときに、レコードに関連する業界では「レコード針の教訓」が話題にのぼりました。CDは今ではコンピュータ用の“記憶媒体”(CD−ROM)として認識する人が多くなりましたが、初登場(1982年)のときはレコード代わりの“記録媒体”でした。

CDのテスト版がドイツで製造されてから、わずか1年のことであったので、まだ一般販売は先のことと思って、レコードの音質を高めることに注力している人も少なくない状況でした。

レコードで最も音質に差が出るのはレコード針で、使い始めた当日から摩耗が始まり、音質は低下する一方でした。だから、摩耗を減らすことに一生を捧げた研究者もいて、最高品質のレコード針が開発できたときには、1982年10月1日のCDの日本の発売日を過ぎていたという話です。

そのような人生を賭けて取り組んできたことの需要がなくなる、まるで足場が消えた(足元が失われた)ようなことにならないように、いかに情報収集が重要かということを伝えるときの逸話として使われています。

クラシック音楽の世界に仕事の一環として(趣味ではなくて)大学生の時から関わってきましたが、その時から7年後の大転換でした。レコード会社を回ってLP盤を集めてきて、これを聴いて評論の下原稿を書くというゴーストライターのような仕事でしたが、持って帰るのがコンパクトなCDになって随分と軽く、楽になりました。

CDの記録時間は74分42秒が当時は限界とされていて、これは世界的な指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンがベートーヴェンの「交響曲第九番」が収まるようにと希望したことから決まったとされています。

同じ曲であっても指揮者、レコード会社(CD会社ではなく今でもレコード会社と呼ぶ)でも違っていて、この話は伝聞ではなく、カラヤンから直接言われたソニーの担当者から聞いたことです。
(このことはソニーの社史にも書かれています)
〔小林正人〕