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タイトルの「SELME」は造語で、セルフメディケーション(self medication)の一部をとったものです。日本式略語のセルメを英語風にしたもので、キャッチーな表現を普及のために使おうとして考えられたものです。

セルフメディケーションというと、「自分自身の健康に責任を持って、軽度な身体の不調は自分で手当てすること」というのはWHO(世界保健機関)の定義です。
これは適した表現だとは思うのですが、医療機関に行くのではなく、薬局・薬店で購入できる市販医薬品を使って、悪化しないようにしよう、軽度の状態で済ませようというイメージが広まっています。

そのようなことになったのは、厚生労働省によるセルフメディケーション税制が大きく影響しています。セルフメディケーション税制は、医療費控除の特例として健康の維持増進や疾病の予防を目的としてスイッチOTC医薬品(要指導医薬品や一般用医薬品のうち医療用から転用された医薬品)を購入したときに、購入費用が所得控除を受けることができるというものです。

官民あげて大々的にPRしたこともあって、「セルフメディケーション=薬局で買う医薬品」というイメージが浸透していきました。それと同時に、一般には本来の意味が薄れていくことにもなりました。

SELMEは平たくいうと「自分の健康は自分で守る」ということです。何も医療を否定するということではなく、自分で治せるレベル、悪化しないようにできるレベルでは医者に頼らないようにするという考えです。

発熱や痛みなど自分では対処できない状態になったら医療機関に行くのは普通のことです。

生活習慣病は初期段階では自覚症状がほとんど現れないために、医療機関で検査を受けないことには、身体の重大な変化を見逃してしまうということにもなることから、自分の状態を的確に知っておくことは重要なことです。

そして、的確に把握した後に、自分でできることは自分でするということが必要です。こういった考え方をするのは、医者にだけ頼っていたら、健康を害する可能性があるという現実があるからです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

運動を始めると、細胞の中では一種のエネルギー不足の状態が起こります。これを解消するために、できるだけ多くのエネルギーを作り出そうとして細胞内のミトコンドリアの中でATP(アデノシン三リン酸)がリンを二つ燃焼させてAMP(アデノシン一リン酸)に変化してエネルギーが作り出されます。

細胞内にAMPが多くなると、エネルギーの枯渇状態を感知してAMPK(アデノシン一リン酸キノーゼ)という酵素が活性化します。このAMPKが指令を出して血中のブドウ糖が取り込まれるという仕組みになっています。

ATP系のエネルギー消費は10秒ほどで終わり、そのあとは乳酸系と呼ばれる無酸素状態でブドウ糖を主にエネルギーとして使う運動となりますが、乳酸系運動は10分ほどしか続かず、そのあとも運動を続けると、有酸素系と呼ばれる脂肪とブドウ糖をエネルギーとして使うエネルギー代謝へと切り換わっていきます。

ウォーキングを始めたときには、平常時に比べると多くのエネルギーを、すぐに作らなければならないので、代謝しやすいブドウ糖が先に使われます。ブドウ糖が中心になって代謝するのは10分ほどです。だから、血糖値を下げるためには、10分間のウォーキングを何度か繰り返す方法がすすめられます。

血糖値が高いことを指摘されて、運動をするように言われると、以前に運動をしていた人は、その運動を再開させたり、走ったりしがちです。しかし、血糖値が高めの人に激しい運動は禁物です。

心拍数が高まりすぎる運動は、心臓や血管の負担が大きくなります。血糖値が高い状態が続いていると血管の細胞が傷みやすくなり、強い負担がかかります。それが合併症のきっかけとなることも考えられます。歩くことは血管にダメージを与えない運動という意味でもすすめられています。

どれくらいのスピードで歩くのがよいかということですが、普通の速度(時速4~5km)でも10分も歩けば、それなりの効果があげられます。しかし、もっと効果を高めようと思ったら、速歩がおすすめです。速歩というのは普段の歩き方よりも20%ほど速く歩くスタスタ歩きのことをいいます。

時速にして7kmほどになりますが、少し息が弾むような速歩でもジョギングに比べて30%ほど消費エネルギーが少ないだけです。つまり、速歩で10分も歩いたほうが血管への負担も少なく、ダイエット効果が高いということです。

運動を行う時間帯としては、血糖値が上昇した食後1時間から2時間後に行うのが最も効果的です。とはいえ、運動は時間帯に限らず行ったほうがよいので、食後に時間が取れない人は、できるときに行うことがすすめられています。
〔健康ジャーナリスト/日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

6月11日
「傘の日」日本洋傘振興協議会が入梅の日を制定。
「梅酒の日」チョーヤ梅酒が入梅の日を制定。
毎月11日:「果物の日」(全国柑橘宣伝協議会、落葉果実宣伝協議会)、「めんの日」(全国製麺協同組合連合会)、「ダブルソフトの日」(山崎製パン)、「ロールちゃんの日」(山崎製パン)

6月12日
「恋と革命のインドカリーの日」中村屋が1927年6月12日の純印度式カリーの発売日にちなんで制定。
「晩餐館焼肉のたれの日」日本食研ホールディングス(愛媛県今治市)が1989年6月12日の晩餐館焼肉のたれの発売日にちなんで制定。
「ロースイーツの日」Cafe Holo iMua(兵庫県尼崎市)がロー(6)スイーツ(12)の語呂合わせで制定。
毎月12日:「パンの日」(パン食普及協議会)、「育児の日」(神戸新聞社)

6月13日
「いいみょうがの日」高知県農業協同組合が6月がみょうがの旬で、いい(1)みょうが(3)の語呂合わせで制定。
毎月13日:「一汁一菜の日」(一汁一菜ぷらす・みらいご飯)、「お父さんの日」(ヤクルト本社)、「登山の日」(ICI石井スポーツ)

6月14日
「認知症予防の日」日本認知症予防学会がアルツハイマー病を発見したアロイス・アルツハイマー博士の誕生日の1864年6月14日にちなんで制定。
「手羽先記念日」エスワイフード(愛知県名古屋市)が世界の山ちゃんの創業記念日の1981年6月14日にちなんで制定。
毎月14日:「ひよこの日」(ひよ子本舗吉野堂)、「丸大燻製屋・ジューシーの日」(丸大食品)

6月15日
「生姜の日」永谷園が奈良時代から神様に生姜の感謝を捧げるのが6月15日であったことから制定。
「オウムとインコの日」オウムやインコと愛情を持って接することをすすめるTSUBASA(埼玉県新座市)が供養と鳥の幸せを願う日としてオウム(06)インコ(15)の語呂合わせで制定。
「ポスチャーウォーキングの日」POSTURE WALKING協会がポスチャースタイリストのKIMIKOがTHE POSTUREを設立した2006年6月15日にちなんで制定。
毎月15日:「お菓子の日」(全国菓子工業組合連合会)、「惣菜の日」(日本惣菜協会)

6月16日
「和菓子の日」日本和菓子協会が848年6月16日に天皇が16個の菓子や餅を神前に供えて厄除けと健康招福を祈ったとされる故事にちなんで制定。
「麦とろの日」はくばく(山梨県中央市)が麦(6)とろ(16)の語呂合わせで制定。
「手羽トロの日」マザーフーズ(大阪府大阪市)が6が手羽元の形に似ていることとトロ(16)の語呂合わせで制定。
「堂島ロールの日」堂島ロールを販売するモンシェール(大阪府大阪市)が6が一巻きロールの形をあらわし、いいロール(16)の語呂合わせで制定。
「父の日はうなぎの日」うなぎ屋たむろ(岐阜県各務原市)が父の日にうなぎの蒲焼を贈る人が多いことから制定。
「さくらんぼの日」山形県寒河江市が6月の第3日曜日に制定。
毎月16日:「十六茶の日」(アサヒ飲料)、「トロの日」(カッパ・クリエイト)

6月17日
「砂漠化および干ばつと闘う国際デー」国連が採択した国際デー。
毎月17日:「減塩の日」(日本高血圧学会)、「いなりの日」(みすずコーポレーション)、「国産なす消費拡大の日」(冬春なす主産県協議会)、「森のたまごの日」(イセ食品)

6月18日
「持続可能な食文化の日」国連が採択した国際デー。
毎月18日:「防犯の日」(セコム)、「おにぎりの日」(中能登町)

6月19日
「魚がし日本一・立喰い寿司の日」にっぱん(東京都千代田区)が立喰い寿司の魚がし日本一の1号店が開店した1989年6月19日にちなんで制定。
毎月19日:「いいきゅうりの日」(いいきゅうりの日プロジェクト)、「松阪牛の日」(やまとダイニング)、「熟カレーの日」(江崎グリコ)、「シュークリームの日」(モンテール)、「クレープの日」(モンテール)、「食育の日」(食育推進会議)、「イクラの日」(カッパ・クリエイト)

6月20日
「健康住宅の日」日本健康住宅協会がカビをはじめとして健康被害が懸念される梅雨の時期から制定。
「ペパーミントデー」北海道北見市まちづくり研究会が6月の北海道の爽やかさがペパーミント(ハッカ)をイメージさせることから、ハッカ(20日)の語呂合わせで制定。
毎月20日:「ワインの日」(日本ソムリエ協会)、「信州ワインブレッドの日」(信州ワインブレッド研究会)、「シチューライスの日」(ハウス食品)、「発芽野菜の日」(村上農園)

「ミルクキャラメルの日」森永製菓が1913年6月10日に初めてミルクキャラメルが発売されたことにちなんで制定。

「リボンシトロンの日」ポッカサッポロフード&ビバレッジがリボンシトロンの前身のシトロンの発売日の1909年6月10日にちなんで制定。

「ところてんの日」伊豆ところてん倶楽部が、ところ(6)てん(10)の語呂合わせで制定。

「ローストビーフの日」ローストビーフの通販たわら屋(静岡県菊川市)がロー(6)スト(10)の語呂合わせで制定。

「無糖茶飲料の日」伊藤園が無(6)糖(10)の語呂合わせで制定。

「BLACK無糖の日」UCC上島珈琲が無(6)糖(10)の語呂合わせで制定。

「うどんと和菓子をいっしょに食べる日」ちから(広島県広島市)が、うどんと和菓子を一緒に食べる食文化の普及を目的に、うどんと和菓子の店として同社が創業した1935年6月10日にちなんで制定。

「Doleスムージーの日」ドールがスム(6)ージー(10)の語呂合わせで制定。

「てっぱん団らんの日」オタフクソースが食育基本法が成立した2005年6月10日にちなんで制定。

「こどもの目の日」日本眼科啓発学会が6歳までに視力0.1に成長するのが大事ということで制定。

「ロートの日」ロート製薬がロ(6)ート(10)の語呂合わせで制定。

毎月10日:「植物油の日」(日本植物油協会)、「糖化の日」(AGE測定推進協会)、「パンケーキの日」(日本ハム)、「コッペパンの日」(全日本丸十パン商工業協同組合)、「アメリカンフライドポテトの日」(米国ポテト協会)

握力は加齢を推定する数値として活用されています。握力は物を握りしめる力のことで、前腕屈筋群と手筋という一部の筋肉の力を指しています。しかし、全身の筋肉量の関連研究から、大腿四頭筋力、背筋力と握力との相関性が報告されています。大腿四頭筋は大腿骨につながる太腿の筋肉、背筋は背中の筋肉で、身体を支える重要な筋肉となっています。

また、握力は持久力、生活活動に必要な体力測定の項目とも相関性が認められています。握力の低下は全身の筋力の低下、筋肉量の低下を示す指標となっていて、加齢による減少の割合も明らかにされています。

握力は20歳を100%とすると60歳では85%、70歳では75%に低下していきます。加齢につれて低下するものの、他の体力要素に比べると最も低下しにくい指標となっています。垂直跳びは60歳では60%、閉眼片足立ちは30%にも低下しています。

握力のピークは男性では30〜34歳で47kgほどですが、60歳では42kgほどになります。女性のピークは35〜39歳で29kgほどですが、60歳では26kgほどに低下します。

握力と認知機能の関連性も研究が進められていて、握力が5kg低下するごとに認知症発症リスクが男性では1.16倍、女性では1.14倍に高まります。アルツハイマー病のリスクは男性が1.11倍、女性が1.13倍、血管性認知症のリスクは男性が1.23倍、女性が1.20倍との報告もあります。

握力は指で握る力、前腕の引く力を鍛えることで高めていくことができます。手と腕の筋肉を強化するには、全身の活動も大切になります。日常的な活動量を増やすと同時に、握ることを習慣化することによって、全身の筋肉を強化して、筋肉による代謝を高めていくことができます。

全身の筋肉は1日に消費されるエネルギー量の20%以上を占めているので、生活習慣病に結びつきやすい血液中のブドウ糖、中性脂肪などをエネルギー化させて、リスクを低下させることにもつながっていくということです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

厚生労働省から、「健康づくりのための睡眠ガイド2023」が発表されました。

以下に、「健康づくりのための睡眠ガイド2023」の成人版の「睡眠休養感の現状」「取り組むべきこと」を紹介します。

〔睡眠休養感の現状〕
近年の国民健康・栄養調査によると、睡眠で休養がとれている人の割合は年代ごとに差はありますが、おおよそ8割程度で、特に20歳以上の成人で7割程度と低く、年々減少傾向にあります。

〔取り組むべきこと〕
健康増進には十分な睡眠時間の確保が重要ですが、それと同じくらい睡眠により休養感が得られることが重要です。

睡眠休養感を低下させる要因としては、睡眠不足に加えて、仕事などによる日中のストレス、就寝直前の夕食や夜食、朝食抜きなどの食習慣の乱れ、運動不足、歩行速度などの運動習慣の不良、そして糖尿病、高血圧、がん、うつ病などの慢性疾患を有することなどが報告されています。

睡眠休養感を向上させるためには、生活習慣の見直しが重要になります。他にも、寝る前のリラクゼーションや寝室の快適さ、嗜好品の摂り方などの睡眠環境や生活習慣も影響する要素です。

睡眠環境、生活習慣、嗜好品の摂り方などを見直し、可能な範囲で改善するとともに、慢性疾患の早期発見・早期治療に努め、睡眠休養感を高められるように努めることが大切です。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

葬儀屋のふりをして葬儀の手伝いをしたことがあります。葬儀の当日はタイムスケジュールに従って進めるだけなので他人が入り込む必要はないのですが、通夜に手伝いに行ったときには、いろいろと気になるところがあると放っておけなくて、手を出してしまうところがあります。

あまりに手際よく準備を進めていると、遺族や親族、参列者などから葬儀屋と間違えられることがあり、いちいち否定するのは面倒なので、声をかけてきた人に調子を合わせることもありました。

葬儀屋は以前から人手不足の業界で、葬儀のときだけ手伝いにくるバイトスタッフも増えていたので、案外と違和感なく、周囲に溶け込むように手伝いをしていました。

生まれたのが寺で葬式に慣れていただけでなく、大学で仏教を学んでいる中で、他の宗派との付き合いが始まり、葬儀の違いも知っていたので、どんな宗派であっても間違えることなく対応することができるようになっていました。

知り合いの方や家族が急逝されたときには、葬儀屋の手配が遅れて、到着するまでは何をしてよいのかわからないという場面もあり、そんなときには葬儀屋の仕事を邪魔しない程度に準備をしたこともありました。

葬儀会社も忙しく、すべての宗教の詳細な部分を知らないまま現場に出ているスタッフもいるだけに、不足している部分を補うのは喜ばれることもありました。若いときには葬儀屋にスカウトされたことは何度もありました。

葬儀屋のリーダーは全体の流れを見て、スムーズに進行するようにしなければならないところですが、どうしても目の前の重要なことに気を取られたり、緊急に対応しなければいけないことがあると全体が見られなくなることもあります。そんな状況になったときには、勝手に全体を見ることをして、気づいたことはサブスタッフに声をかけていました。

さすがに手を出すようなことは、よほどの知り合いの葬式でなければしなかったのですが、1回だけ手を出したことがあります。それは大事な参列者があって受付の人が案内して席を離れたときで、香典が入った紙袋が置かれたままだったので、万が一のことを考えて、受付の代わりをしました。

全体を見る癖がついたのは、寺で暮らしていたときのことで、親戚の孫の中でもメインの役割は内孫(母の姉の子)がやるので、外孫の私はサブの役割として外側にいて、全体に気配りをすることを子どもながらにやっていました。

葬儀屋に間違われるのは、一生懸命に取り組んでいたからで、その場に馴染んで、自分の立場を変えるという、これも偽る脳力を鍛えることになったかと考えています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

“他力本願”という言葉を使うと、それはおかしいと指摘されることがあります。そして、「自力本願の間違いではないか」と言われるのはよいほうで、「他力本願になってはいけない」と説教されることさえあります。

自分の力を信じて、努力を重ねていくことは重要なことであり、毎日の積み重ねが自分を高めていくという考えは、多くの学びの機会に共通していることです。他力本願になって努力を怠ってはいけないという気持ちもわかります。自力本願によって目標を達成したという人も数多く知っています。

私が書籍や雑誌などを通じてインタビューさせてもらった方のほとんどは自力か他力かと言ったら、間違いなく自力本願が圧倒的多数を占めています。そして、困難に苦しむことがあったときにも自分の力、仲間の力、社員の力を信じて戦ってきた人たちです。

そのために他者を追い落とすようなことがあっても、それは相手よりも優っていたから、逆に言うと相手が劣っていたからということを述べていました。

そのことには強い違和感がありながらも、ビジネスとしてのインタビューと執筆であったので、それを否定するようなことはありませんでした。しかし、自分が経験してきた説教では、他力本願が正道です。

説教を叱ることの意味で使う人も多いのですが、本来は宗教の教義・経典を口で解き明かすことを指しています。他力本願こそが重要と説いたのは浄土真宗の開祖の親鸞聖人です。その教えを守り、伝える宗派の寺で生まれ、祖父母から言われ続けてきました。

浄土真宗は他の宗派とまったく違うと言われる中で、親鸞聖人が出家して学んだ浄土宗と比べてみたことがあります。一文字だけ違っているので、根本的なところは同じか似通っているのではないかと思っていました。

同じ本尊(阿弥陀如来)で、同じ南無阿弥陀仏と唱えるのですから。浄土宗は南無阿弥陀仏と唱えて修行することで死後に浄土で仏になることができるということで、一生懸命に唱える自力で願いをかなえる自力本願です。

浄土真宗は信心をすることで必ず極楽浄土に行けるという他力本願です。どれくらい一生懸命に修行したか、どれだけ多く唱えたかということには関係がなく、何を信じるのかというと阿弥陀如来の本願です。本願は、すべての衆生(生きとし生けるもの)を仏にするという願いを指しています。

頑張ることも無理をすることもないというのは、メディカルダイエットの「無理なく無駄なく」のモットーと通じるところもあります。メディカルダイエットは苦しいことをしないで望む結果になるように生命科学に基づいた方法を示しています。他のダイエット法が苦痛だけでなく空腹感も克服しないといけない修行が求められる自力本願だとしたら、メディカルダイエットは修行がない他力本願にたとえられるかもしれません。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

子どものときに母の実家の寺で生まれ、3歳のときから小学校にあがる寸前までの期間、親元を離れて寺で暮らしていたこともあり、それが今の性格や考え方に影響を与えているのではないか、と言われることもあるのですが、浄土真宗の寺だったので、他の宗派のような張り詰めた雰囲気ではありませんでした。

他の宗派では、というよりも、仏教そのもので禁じられている肉食妻帯は浄土真宗では禁じられていません。寺があったのは漁師町で、魚は檀家が持ってきてくれるので買う必要がない状態で、子どものときに肉を食べた記憶がありません。

それが今の体質(獣肉を食べると調子が悪い)の要因かもしれないのですが、肉食妻帯の肉は鳥、獣、魚も含んでいるので、魚を食べてきたといっても他の宗派だったら堕落ということになるのかもしれません。

肉食妻帯の妻帯のほうは、子どものときに疑問を感じたのは、近所の寺に住職の子どもや孫がいたことです。禁止をされていても何かの理由があれば結婚をしてもよいのか、子どもを作ってもよいのかということですが、子どもだったので養子とか婚外子のことは思いつきもしないことでした。

浄土真宗の開祖の親鸞聖人に妻がいて、開宗は後のことなので、それで妻帯を認めたなどという他の宗派からの指摘もありますが、妻帯を認めたことから真宗十派という今の隆盛もあると考えられています。

真宗十派のうち親鸞聖人の家族から派生したのは浄土真宗本願寺派(本願寺)西本願寺、真宗大谷派(大谷本廟)東本願寺、真宗木辺派、真宗出雲路派だと大学で学びました。親鸞聖人の弟子から派生して、子どもが継いでいったのは真宗高田派、真宗佛光寺派、真宗興正派、真宗誠照寺派、真宗山門徒派、真宗山元派です。

今の自分が存在しているのも、他の宗派から指摘されることもなく生きていけるのも親鸞聖人のおかげという気持ちがあります。

肉食妻帯が認められている代わりに、浄土真宗(真宗十派)は地獄がなく、地獄を引き合いに出して稼ぐこともできない、戒名もない、販売するようなものもないという現代社会では厳しい条件が課されています。

それだけに動物や植物の命をいただいて生きていくことも、当たり前の感覚です。ことさらに感謝の言葉を述べてから食事をすることには、いつも違和感があります。

食べることだけでなく、妻の支えを得て暮らしていくこともできるのも、後ろめたさを感じることなく、堂々と生きていくことことができるのだと強く感じています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

師匠から奥義を授けられて後継者になることは「衣鉢を継ぐ」と言われます。

武術の世界であれば奥伝を継ぐときには巻き物を渡されますが、それには人に伝えるべき重要事項が書かれているのが一般的です。武術の流派によっては、書き物には何も書かれていなくて、「白紙に戻ること」が奥伝として伝えられることもあります。

白紙のものを自分の考えでまとめ、それを次へと伝えていくのは相当の覚悟と努力が必要です。その覚悟と努力を伝えていくこと自体が奥義そのものと言えるかもしれません。

私自身は父の影響で柔道と剣道をやってきたものの、段位は剣道で2段で終わり、続けて始めた空手が2段、少林寺拳法が2段(少拳士)で終わりました。父に習って逮捕術も始めましたが、警察官でないと級は得られないので“無級”で、これでは衣鉢どころか何も継ぐこともできません。

「衣鉢を継ぐ」というのは、これと同じようにも考えられていて、財産になるようなものを継ぐ(相続する)のではなくて、一見すると価値がないようなものを継いでいて、実は重要なことを継いでいるというのが“衣鉢”です。

衣鉢は僧侶であることを示す法衣と托鉢をする鉢を指しています。この二つがあれば、修行をする僧侶として生きていくのに必要な最低限の食べ物を乞うことができます。受け継ぐ法衣は、古代インドのサンスクリット語(梵語)ではカーシャーヤ(kasaya)と呼ばれ、これは“壊色”“混濁色”を意味しています。

仏教では本来は、僧侶が財産になるものを持つことが禁じられていて、衣服も買うのではなく、使い道がなくなって価値がない布(ぼろ布)をまとっていました。その色は、在家の信者との白と区別するために黄土色などに染められていました。

師匠から継ぐ衣装は、汚れた色のもの、実際に汚れたものであることから、カーシャーヤは汚れたもの、粗末なものを指すようになりました。これを語源として生まれたのが袈裟(けさ)で、インドでは古くは法衣の上に“袈裟懸け”をすることもありました。

しかし、これも使い古された布をつなぎ合わせたもので、少なくとも現在の僧侶の絢爛豪華な袈裟とは、まったく違うものです。

寺に属さない在家信徒である身には衣も鉢も継ぐことはありません。また、父の実家も弟が継ぎ、東京から岡山に移住するときには仕事を引き継いでもらったので、私にとってて残っているのは人脈と経験くらいです。

しかし、形に残るものではなく、精神性を継いでいくということで、あえて「衣鉢を継ぐ」という言葉を使っています。そして、何を継いでいるのか、これから何を継ぐべきなのかを常に自分に問うています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕