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脂肪が多く含まれた食品を食べると血液中の中性脂肪値が高まると指摘されると、では脂肪の摂取を減らせば中性脂肪値が下がることが期待されるところですが、その通りにはいかないという人は少なくありません。
中性脂肪値が高い状態であっても、これといった自覚症状はみられません。しかし、中性脂肪値が高いまま長期間放置しておくと、血管の老化が進み、動脈硬化から心疾患(心筋梗塞、狭心症など)、脳血管疾患へと進んでいくことになりかねないだけに、できることなら中性脂肪値を安定させたいと願う人が多いのも当然のことです。

中性脂肪は英語名のトリグリセリド(triglyceride)を訳したもので、酸性、中性、アルカリ性という分類の中性とは関係がありません。グリセリドと呼ばれる脂質1個に、脂肪酸が3個結びついたものです。

中性脂肪は、エネルギーを体内に貯蔵するための形態であり、血液中を流れる脂肪や体脂肪の内臓脂肪と皮下脂肪もほとんどが中性脂肪となっています。血液中の中性脂肪が過剰に増えた状態を高中性脂肪血症といい、中性脂肪とLDL(低比重リポ蛋白)のどちらか、あるいは両方が過剰に増えた状態、もしくはHDL(高比重リポ蛋白)が低い状態を合わせて脂質異常症といいます。

健康な人の血液中の中性脂肪量は50~149mg/dlで、150mg/dl以上を超えると高中性脂肪血症と診断されます。

健康診断で中性脂肪値が高いことを指摘されると、脂肪が多く含まれる食品を減らして、食事で摂取する脂肪の量を減らすように心がける人が多いようです。「脂肪が多いのだから脂肪を減らせばよい」という発想ですが、食事で摂る脂肪を控えれば、血液中の中性脂肪が単純に減るというわけではありません。

食事で摂った脂質は、小腸から吸収されてカイロミクロンとなるため、脂質の多い食事をすると血液中にカイロミクロンが増えます。しかし、カイロミクロンは食事をして数時間で、ほとんどが各組織のエネルギーとして使われます。

中性脂肪の検査は、空腹時(12時間以上は何も食べていない状態)に行われるため、検査で計測される中性脂肪はカイロミクロンではなく、中性脂肪は食事で摂った脂質との関わりは少なくなっています。

中性脂肪値に影響しているのは、食事で摂った糖質です。余分になった糖質は肝臓で脂肪酸に合成されて、その後に中性脂肪となって血液中に放出されます。注意すべきは、ご飯や麺類、パン類、菓子類などの糖質の摂取量なのです。

中性脂肪の肝臓での合成は、アルコールの摂取によっても促進されます。また、肥満の人は、脂肪細胞の中で分解された脂肪酸が血液中に放出され、この脂肪酸を原料にして肝臓で中性脂肪が合成されます。このほかにも、糖尿病、肝臓病、腎臓病、痛風などによっても、高中性脂肪血症になることがあります。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「環境の日」国連人間環境会議が人間環境宣言をした1972年6月5日にちなんで制定。

「ロコモ予防の日」ロコモティブ・シンドローム予防推進委員会が6と5でロコモ、老後と読む語呂合わせで制定。

「ろうごの日」神戸市老人福祉施設連盟が、ろう(6)ご(5)の語呂合わせで制定。

毎月5日:「みたらしだんごの日」(山崎製パン)

注意欠陥・多動性障害は発達障害の一つですが、発達障害は調査のたびに発現数が増えていて、発達障害とグレーゾーンだけでなく、定型発達と判定された子どもであっても、詳細にみると異なる判定がされていることも少なくありません。

それだけに今回のテーマにある「的行動」なのか、注意欠陥・多動性障害なのかもわかりにくいのが実際のところです。

文部科学省の調査によると、通常教育を受けている子どものうち発達障害の可能性がある小中学生は8.8%と発表されています。これは知的発達に遅れはないものの学習面や行動面に著しい困難を示すと担任が回答した児童で、担任の主観に基づく調査結果となっています。

これに特別支援学級・学校に通う子ども、未判定の子どもも合わせると10%を超えているというのは納得ができる数です。

発達障害が疑われている約68万人の子どものうち、自閉症スペクトラム障害は約27万人、注意欠陥・多動性障害は約9万人、学習障害は約49万人の割合です。

注意欠陥・多動性障害(ADHD:Attention-deficit hyperactivity disorder)は、「不注意」「多動性」「衝動性」の3つが特徴的で、身の回りの特定のものに意識を集中させる脳の働きである注意力に問題があり、衝動的で落ち着きのない行動によって生活上の困難に直面している状態を指します。

発達年齢に見合わない多動・衝動性、あるいは不注意、その両方の症状が7歳までに現れ、その対応別の症状の程度によって、多動・衝動性優勢型、不注意優勢型、混合型に分類されます。

学童期の子どもには3〜7%存在し、男子は女子より数倍多いと報告されています。男性の発現率は青年期には低くなるのに対して、女性の発現率は年齢を重ねても変化しないと報告されています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

子どもときに親元を離れて母の実家の寺でお暮らしているとき、「なぜ他の寺よりも貧しいのか」との疑問をずっと抱いていました。子ども心にも寺院は裕福という印象があって、同じ地域の他宗派の寺院に行くと、明らかに立派な建物、立派な生活(?)でした。

ご先祖様は大聖寺藩(加賀藩の支藩)の藩主の一族の出家と聞くのに、どうしても貧しいのかという疑問に答えてくれたのは住職の祖父でした。

先にも書いたことですが、浄土真宗には地獄が存在していないために、亡くなったら全員が極楽浄土に行くことができます。そのため地獄に落ちないように善行を積む必要もありません。

即座に極楽に行けるので、一生懸命に祈る必要もない、行うのは信心だけで、苦行もなく、自分を磨く坐禅も瞑想もありません。

魂は極楽に行っているので、魂が墓に入っていることもなくて、お盆に墓にも家にもご先祖様の魂が帰ってくることもありません。そのために迎え火も送り火もありません。寺では盂蘭盆会もなくて、お盆の期間には阿弥陀如来に感謝する歓喜会が行われるだけです。

となると墓は必要ないはずですが、故人を偲ぶ場、親族が集う場所として存在しているだけという考えです。墓があってもお骨を入れる必要もなく、家に置いていてもよくて、散骨をしてもよいのです。

地獄がないなら極楽行きか地獄行きかの閻魔大王の裁判もなくて、その裁判の日に当たる四十九日も本来ならいらないはずです。浄土真宗では亡くなった方に感謝をする機会です。さらに永代供養もないので、これでは寺は稼ぐこともできません。

本来なら仏壇もなくてもよくて、位牌もほしい人だけ、さらには亡くなってからつける戒名もありません。浄土真宗では生きている間に信心の証として本山から法名(ほうめい)を授かります。その金額も、立派な戒名をつけることに比べたら少額です。法名もシンプルで、釋○○の3文字だけです。釋はお釈迦様のことで、弟子の名前となります。
他宗にある御朱印もお守りもお札もおみくじもなくて、参拝記念の無料のスタンプがあるくらいです。これが子ども心に貧しいと感じたきっかけです。

仏教では禁じられている肉食妻帯は、浄土真宗では禁じられていません。生きていくのに食べることは必要で、また生きていくのにある程度のお金も必要です。これを得ることに感謝して暮らすのは大事ではあっても、宴会のように贅沢をするのは違います。

そんな環境で育ったから、自分の胸に感じる通りの独創的な発想で、浄土真宗の“真”の部分を追求しようと考えたところがあります。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

分岐点に立たされて、どちらの選択をすべきかを迷ったときには、少しでも早く結論を出したいと考えるのは当然のことです。そして、結論に従って、即座に行動を起こそうとする のも、また当然のことです。

しかし、その結論と行動が、自分のマインド(精神性)と合致しているのか、それとも自分を捻じ曲げることになるのか、それによって起こすべきことが違ってきます。身に危険が迫ってきているときは別として、まだ結論を出すまで余裕があるというときには、自分のマインドと合致できるようになるまで待つことが大切になってくると考えています。

その勇気と覚悟が自分の中で湧き上がってくるまで待つことが必要で、少なくとも「自分に言い訳ができればよい」という安易な選択はすべきではありません。自分の胸(マインド)に問うてみて、しっかりとした返答が得られるようになるまでは、安易に結論を出さないということが第一と考えます。

といって、ただ単に待つだけの“果報は寝て待て”では仕方がありません。“果報は寝て待て”の本来の意味は「焦らずに時期を待て」ということですが、その時期まで何もしないでよいということではありません。

自分の胸に問うことで、しっかりとした判断ができるようになるために自らを磨く、その磨くために必要なインプット(勉強)をしておくということで、以前よりも時間をかけ、質を高める努力の期間とすることが重要となります。

つまり、「判断できるまで待つ覚悟」というのは、以前にも増して頑張る覚悟ということで、そのための時間を作り、気力、体力を高めておくために、これまで妥協で行ってきたことを止める、撤退する、切り捨てるという覚悟も必要になってきます。

インプットのための情報は今のネット時代には、手軽に入ってくるようにはなっているものの、その情報が正しいものなのか、新しいものなのか、社会の流れに合っているものなのか、誰かの意図によって流されているものではないのか、そして我が胸に問うても間違いがないものなのか、そこを見抜くために、さらに勉強が必要になってきます。

機が熟するまで待つということは、待つだけ待って行動を起こすタイミングで行動に踏み出すということであり、絶好のタイミングを見極めると同時に、行動として踏み出すときに必要なこと(考え、気力、体力、見極める目、周囲の協力など)を整えておく大事な時間となります。

周囲からは休んでいる(怠けている)ように見えたとしても、心身とも充実させる内なる活動に励んでいる時間です。後から振り返ってみたときに、こんなに充実した時期はなかったと感じられるようにすることに時間をかけるのは、本当に勇気と覚悟がいることと考えています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

判断に迷ったときには、何を頼りにしてよいのか、それすら迷うことがあります。

絶大なリーダーが存在していて、その考えと行動に従えば解決するのは簡単だ、という発想があります。それは絶大なリーダーが常に正しい判断をするということが大前提であり、もしも正しい判断でなかったとしても、それを否定できるような立場でないとしたら、本心であろうと嫌々であろうと“神の声”に従うのが、そのときの正しい判断ということができます。

そのような意識をすることなく、付き従うのが正しい判断であるとするなら、判断に迷うこともないことになり、思い悩むこともないはずです。

しかし、多くの人が人生の岐路に立ったときに、何かに頼ろうとします。それだけ自信がなく、自分の意思で決定したとしても、後々に悔いることがないような明るい未来を思い描くことができないという漠然とした不安感が漂っているからです。

このような悩みを解決する手段として、脳科学が説明に使われることがあります。
脳科学の世界では、右脳が支配する無意識が、左脳が支配する意識をコントロールしていることから、無意識に従うのが大きな脳を持った人間の宿命だという考え方もされています。

無意識に従うというのは自らの内なる声に従うということであるのか、それとも“神の声”に従うことなのか、その区分けをつけることも難しいところがあるのですが、巨大な脳にたとえられるネット社会では、ありとあらゆる選択肢が示されています。

その中から自分で選び、自分で行動を起こしているように感じていても、そうではないことが多々あります。ネット検索で目にするものが素材だけであれば、より多くの素材から自分に適したものを選択して、オリジナルのものを組み立て、オリジナルの考えを推し進めていくことも可能でしょう。

しかし、ネット検索の情報は、誰かの意見を、誰かが意図を持って選択して掲載していることが多いのも事実です。自分で選び、自分で考え、それをベースに発信しているつもりであっても、実は誰かの意図を拡散しているだけということも少なくありません。

また、的確なアドバイスをしてくれると評判の人も、実は周囲の声に突き動かされて、その声を発信しているだけだったということも経験しました。

こういったことに対して的確な判断をするためには、人を見抜く目をつけるための経験も必要になるのでしょうが、さらに的確に判断するためのインプット(勉強)も継続させていかなければならないと考えています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

他人の掌で動いていたのでは小さなことしかできないということは、お釈迦様の掌(てのひら)にたとえられます。これは『西遊記』の一節で、孫悟空が觔斗雲(きんとうん)に乗って遠くまで行き、その証拠として柱に名前を書いて戻ってきたら、その柱がお釈迦様の指だったという逸話です。

觔斗雲よりも筋斗雲(きんとううん)のほうが馴染みのある漢字かもしれませんが、筋斗雲はドラゴンボールに出てくる雲で、西遊記では中国語の觔斗雲です。

それほどお釈迦様(釈尊)は大きな存在で、生まれたときから違っていました。何しろ誕生してすぐに立ち上がり、7歩歩いて右手で天を指し、左手で地を指して、「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん)と言ったというのですから。

(書物によっては歩いたのは7歩だけでなく、東西南北に7歩ずつと書かれているものもあります。)

唯我独尊は「唯(ただ)、我、独り(ひとり)として尊し」という意味で、天上天下にただ一人、誰とも代わることができない尊い存在であることを生まれながらにして発見したとされます。

私たちは生まれながらにして発見することはできなくても、人生を経験することで発見して、それを自覚することも、周囲の人たちに伝えていくことはできます。

私は母の実家の寺で4月8日(お釈迦様の誕生日と同じ)に生まれ、幼いときには親元を離れてお寺で過ごしていたので、読むもの、祖母に読んでもらうものは、こんな仏教の逸話ばかりでした。

東京で学んだのはインド哲学で有名な東洋大学で、図書館には仏教関係の書籍だらけで、子どものころの記憶は、いくらでもアップデートできる環境でした。

「天上天下唯我独尊」は、平たく言えば「人生の主役」ということで、お釈迦様だけでなく、すべての仏教に帰依する(仏教の教えのまま生きること)は人生の主役であり、生きていることが尊いということを指し示しています。

中には間違った解釈をする人もいて、「この世で自分ほど偉いものはいない」と自惚れることもあり、これを戒めるために「天上天下唯我独尊」が使われることもあります。お釈迦様でもない人間が、そのようなことを考えるのではない、という発想です。

しかし、お釈迦様ならぬ他人の掌で踊らされているのではなく、自分が人生の主役になるという意識というか覚悟は重要で、主役となって脇役を引き上げ、一緒に人生という舞台を作り上げていこうということを伝える発想として「天上天下唯我独尊」を話題にさせてもらっています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

浄土真宗でするべきことは阿弥陀如来への信心です。信心して往生させてもらうことは他力本願です。この他力本願という言葉を出すまでは、なんとなく納得してくれていた方が、急に態度を変えることがあります。

他力本願のように他に頼るのではなく、自分の成功は自分の力、努力の結果であって“自力本願”だと言いたいのは理解できます。しかし、親鸞聖人の教えを引き合いに出すなら自力というのは阿弥陀如来の本願を疑うことであって、自力本願の自信が苦を生み出すことになっているのですが、このことを理解してもらうまでには、かなりの時間がかかります。

他力本願というと、他人に頼って生きていくというイメージがあって、あまりすすめられることでもなければ、褒められることでもないという行動指針に思われがちです。
仏教の世界では、修行というと苦行を指すことがあります。坐禅や瞑想、それも室内で行うことではなくて、屋外で雨風に晒されながら、心身の限界まで挑むという印象があるかもしれません。

その苦行を経験することで、自分自身を磨き、願いをかなえていくというのは自力本願です。苦行とはいかないまでも、五穀断ちをする人もいます。これは穀物を人間の穢れにまみれた俗物の代表的なものと考えて、それを避けることで身を清廉にして修行に取り組もうとすることを指しています。

五穀断ちをすれば、それが修行になるということではなくて、修行のアイテムの一つだとは思うのですが、お茶断ち、酒断ちをして、それも短い修行期間だけこなして、修行をした“気分”になるという略式の感覚が広まっているようです。

そのようなことでも、頑張った自分に優越感を得て、自力本願としてするような感覚が世間にはあることも違和感があるところです。

このようなことを書くのは、私が大学や社会人として学ばせてもらった仏教の世界では、自力本願は不要で、阿弥陀如来を信心する他力本願だけが存在しています。これは浄土真宗の開祖の親鸞聖人の教えに従っているだけです。

この教えに従って本願を得る場が本願寺となるわけですが、信心をするのは、ただワンフレーズを唱えればよいということではなく、経文を読み続ければよいということでもありません。

親鸞聖人の教えを真理として、自分の行いとのズレを確認することが信心の修行であり、信心のためには小さなことであっても実践し続けることはあります。この修行は、短期間の苦行とは違って、“小さなことをコツコツと”という芸人さんのフレーズではないのですが、生きている限りは実践し続けるという終わりがないことなのです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「虫歯予防デー」日本歯科医師会が虫(64)の語呂合わせで制定。

「水虫治療の日」大源製薬(兵庫県尼崎市)が水虫が急増する梅雨入り前の時期で、む(6)し(4)の語呂合わせで制定。

「蒸しパンの日」日糧製パンが蒸し(64)パンの語呂合わせで制定。

「蒸し豆の日」マルヤナギ小倉屋(兵庫県神戸市)が6月が食育月間で、む(6)し(4)の語呂合わせで制定。

毎月4日:「みたらしだんごの日」(山崎製パン)

1995年というと、さまざまなことの始まりの機会となった年ですが、どんな年だったのかということを思い出すキーワードとして多くの方に通じやすいのはWindows95が発売された年です。

マイクロソフトがWindows3.1の後継として登場したコードネームWindows4.0の商品名として発売年を記念して命名されました。

Windows95の前と後とで時代の違いは明らかで、これまでは専門家でしか使えなかった機能が一般でも簡単に使えるようになり、いわゆる素人でも扱えるOSが導入されたことで、インターネットの普及が一気に進みました。

そのおかげで、調べごとをするのが楽になり、それまでは専門家だけがデジタルデータを引くことができた状態から、誰でも(その気になれば)専門家のように仕事ができるようになったきっかけでした。

その前の時代は裏付け資料を書籍や紙で保存しておいて、それを引いて資料を探すのが仕事の半分以上という時代だっただけに、物書きには“嬉しすぎる”大変化で、書くことに充てる時間を長くすることができました。

PHP研究所の出版物でゴーストライターを始めたのは1981年のことで、15年間で150冊を手掛けたので、最後の1冊が発行されたのは1995年のことでした。

経験の少なさからデータが足りないために書けなかったことが、自分でも可能になったことで、ゴーストライターだけでなく、自分で表現できるようになりました。

ゴーストラーターは、Windows95の前と途中の150冊のあとに、34冊を別の舞台(出版社や団体など)で書くことになりました。

といっても、私が使っていたのはMacintoshで、これは編集、印刷、研究分野で使われていたからですが、30年が経過した今でもMacにWindows変換ソフトを入れて使っています。

パソコンが専門分野で使われていたときでも、まだまだ執筆には使われていない時代で、原稿用紙に手書きすることから始まり、ワープロでの執筆に移っていきました。手書きをしすぎて、途中で腱鞘炎になってしまい、もう書けないと伝えたら、2日後に家にワープロが送られてきました。

ワープロといっても、まだワードプロセッサーと呼ぶのが相応しいような画面が緑色で、文字変換に時間がかかり、手書きよりも手間がかかるもので、それでも70万円以上しました。

打ち込んだ原稿をプリントして出版社に持ち込んで、オペレーターが印刷用のデータを打ち込むという手書きと変わらない工程でしたが、そのうちワープロのデータがパソコンデータに変換できるようになり、これをインターネットを介して送ることができるようになり、家から出ないで、ずっと書き続けられる時代となりました。

1999年には東証マザーズが始まり、その上場第1号のインターネット総合研究所の代表が親戚だった関係で、ネット環境は一気に改善されました。それでも通信で送るのは時間がかかり、フロッピーディスクを宅急便で送るのと、どちらが優位なのかという議論をするくらいの時代がありました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕