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日本人は血圧が高めの体質があり、血圧を下げることが健康長寿の重要ポイントとされてきたところがあります。高血圧の基準は、これまでにも何度か変更され、変更のたびに基準が下げられて、早めに治療を始めることが推奨されてきました。

高血圧は血圧が高い状態を指していて、治療が必要な状態になると“高血圧症”と呼ばれます。その高血圧症の基準が変わった、以前とは逆に基準が高められたという話が広まっていて、その真偽が質問される機会が増えました。

そのような質問が出るようになったのは最近のことで、2024年の4月1日に発表された厚生労働省の「特定健診における受診勧奨判定値」の中で、収縮期血圧が160mmHg以上、拡張期血圧が100mmHg以上という数値が示されたことです。

これは基準が緩やかになったわけではなく、「標準的な健診・保健指導プログラム(令和6年度版)」で、すぐに医療機関を受診して、治療を始めるように推奨される数値が新たに加わったことによるものです。

従来からの収縮期血圧が140mmHg以上、拡張期血圧が90mmHg以上という高血圧の基準が変わったわけではなくて、あくまで特定健診(メタボ健診)での話です。

一般の人の勘違いだけでなく、中には医師でも勘違いしている人がいて、「高血圧の基準が変わった」「国は何を考えているのか」と発言(講演やネットなど)していることもあって、これが混乱を引き起こす要因にもなっています。

高い値が示された人は、生活習慣病を改善する努力をして、それで数値が改善しないなら医療機関を受診するように指導されるのは、収縮期血圧が140mmHg以上、拡張期血圧が90mmHg以上であるのは変わりがありません。

このような状況もあって、日本高血圧学会は「特定健診における受診勧奨判定値についての正しい理解を」という通知文で注意を呼びかけています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

浄土真宗には地獄は存在しないのですが、地獄があるとしたら、それは生きている現世に存在していることになります。親鸞聖人の教えの中に「じごく」という言葉は出てこないわけではなくて、別の感じで書かれています。それは「自業苦」です。

これは前に書いたことの繰り返しになりますが、自業自得の自業で、自分が行ってきたことによって苦しむのは「自業苦」だとされています。これは何も悪いことや失敗をしたことを指しているだけではなく、自ら行ったことが結果として現れているということで、よいことをしても苦しむことがあります。

よい生活をしている人が今の生活を崩したくない、もっとよい生活をしたいと望み、それがかなえられないこと、思ったよりも歩みが鈍いことを苦しみのように感じることがあります。これも自業苦となります。

この苦しみを、楽に変える生活ができれば、業の苦が楽になるということで「業苦楽」(ごくらく)となります。自業苦がなければ業苦楽もない、つまり苦しみを感じて自分を変えることができた人は、すべて極楽に行ける極楽往生という発想です。

しかし、誰でも極楽に行ける、念仏を唱えるだけで極楽に行けるということではありません。阿弥陀如来に信心をすることで極楽に行くことができるということです。そのために地獄という概念がないので、一生懸命に信心しないと「地獄に落ちる」ということもありません。地獄に落ちたくなければ善行を積めばよい、と言って苦行や、苦行がわりの金品を求めるということもありません。

亡くなった人の魂は、この世に残っているわけではないので、お墓は祖先を偲ぶ場であって、そこで祈りを捧げると魂が現世に戻ってくることもありません。お盆は他宗では迎え火と送り火が行われますが、浄土真宗では送り火も迎え火もなく、お盆に行われていることも他宗と比較するまでは知りませんでした。お盆に墓参りをすることはあっても、これも故人や祖先を偲ぶために行くだけです。

現世で業苦楽(極楽)を感じることができれば、亡くなったときに即座に自動的に極楽浄土に行けるわけで、閻魔大王のお裁きを受けることもない、そもそも裁判が行われる冥土に行くこともないわけです。

自業苦を経験しなければ業苦楽もないということであれば、「苦しむことは修行のうち」と考えられることもあります。これにも異論があって、浄土真宗では苦行も坐禅もありません。

「自業苦」を経験しなければ絶対に極楽に行くことがないということではなくて、「自業苦」を感じた人であっても極楽に行くことができるということですが、この説明は他宗の方には理解しにくいことのようです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

浄土真宗には地獄が存在しないということは、幼いときに親元を離れて暮らしていた母の実家の寺で、祖父母から聞かされていました。

寂しい気持ちに、死を連想させる環境もあって、地獄を恐れるようなことがないようにという気づかいかと幼心にも感じていましたが、地獄がないというのは本当なのだと気づいたのは他の宗派の寺に用事があって行ったときでした。

行った先の寺では地獄絵図が掲げられているか、子どもが目にする絵本でも地獄が描かれていました。説法でも地獄に落されないように善行を積むことの大切さが繰り返し伝えられていたことを覚えています。

その話を他宗の説法で聞いたときに、よくわからないまま違和感だけを感じたものでした。また、他宗の四十九日では閻魔大王に地獄行きの裁きを下されないように、一生懸命に皆でお参りをするという場面にも違和感がありました。

他宗の地獄には閻魔十王がいて、七日ごとに裁判が行われています。宗派によって違いはあるのですが、それぞれの王によって6回の裁判が行われ、7回目の裁判である四十九日に最終的な極楽行きか地獄行きかの最後の審判が行われるというものです。

このことを頭の中で整理できたのは、大学で毎日のように通っていた図書館の東洋哲学の書庫で多くの専門書を目にする機会を得ることができたからです。

浄土真宗には地獄が存在していないのに、四十九日の法要は行われていました。これはお布施をいただくための方便かとも思っていたのですが、法要の区切りの日、生前を偲ぶ日という位置づけで、必死のお参りではありませんでした。

今を生きている人は誰も地獄を経験していないのに、その恐ろしさを話す人と、それを受け入れて善行を積もうという人の両方に、事実と違うことを受け入れる能力があることを感じたのが、今の「偽る脳力」を考えるきっかけだったのかもしれません。

大人になってから、自分の現状を「生き地獄」だと言う人には数えきれないほど会いました。誰も地獄を経験していないことで、何と比較しているのかはわからないので、それぞれの地獄の苦しみのレベルが判断できないところですが、「地獄のような」と表現される経験は何度も繰り返されてきたのは事実でしょう。

浄土真宗では亡くなってから地獄に行くことはないので、地獄のような経験をするとしたら生きている間しかありません。そう考えると、「“生き地獄”は当たり前の世界」というのは、それこそ当たり前のことなので、生き地獄に嘆くのではなく、極楽を目指して前進していくことを親鸞聖人は示してくれたということを伝えています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

新潟県出雲崎町の母親の実家の寺で生まれた私は、時期を置かずに警察官の父親の勤務地の松之山町(新潟県南の山奥)で3歳まで暮らした後、再び出雲崎町の寺で3年間、親元を離れて祖父母と暮らすことになりました。

弟が生まれて、母親も仕事を手伝う環境にあったために、2人を育てるのは難しかったからというのが表向きの理由です。

私が2歳のときに、警察の事件としてはあまりにも有名な松之山事件が起こりました。松之山は、坂口安吾の推理小説「不連続殺人事件」の舞台となったところです。

松之山温泉から奥に進んだ駐在所の新人巡査が住民3人を射殺する事件が起こりました。これをきっかけに、新人、独身者は駐在所に勤務させないことになったといいます。

父は現場に最も近いところにいたことから、その駐在所に向かったところ、すでに巡査は自殺していました。その時代の警察の最大の不祥事ということで、後任配置について相当に検討されたということでしたが、父が現場地域も知っていることから、その事件現場の駐在所に家族で転勤することになりました。

警察官が通るだけで子どもは泣き出す、住民も避けるようになっている中での勤務と子育ては大変だったということで、私は母の実家に預けられることになりました。子ども心にも親元を離れることが寂しいと言えるような雰囲気ではありませんでした。

出雲崎は遠景に佐渡島が見えるところで、江戸時代には佐渡金山からの積み入れ港でした。出身の著名人といえば、たった一人で、それは良寛和尚です。幼いときには地元の良寛牛乳と漁師町の魚、そして仏様の供物のお下がりで育つことができました。

住職の祖父から、よく言われていたのは「供物のお下がりで生きているので贅沢は言ってはいけない」ということでした。それは今も教訓のように身に染み込んでいます。

良寛和尚は22歳のときに備中玉島の円通寺に歩いて修行に行ったと聞き、地図を見て、随分と遠くまでいったものだと感心したものですが、考えてみれば江戸時代には歩いていくしかなかったので当然のことです。

物心がついた時期に親元を離れ、やっとできた近所の友達と離れて、親の転勤先で小学校に入学して、4年生のときには都市部の小学校に転校、5年生のときに田園地域の小学校に転校して中学1年生までいました。その後は新潟県内でも150km以上も移動して中学卒業まで家族と一緒でした。

その後は親元を離れて父親の出身地の柏崎市(今は原子力発電所の街)の高校で学び、東京の大学で学び、それから岡山に移住するまで44年間、大都会暮らしをしていました。

親戚づきあいもなく、ずっと一人で暮らしてきたようなものだったこともあって、行く先々で人脈を作り、それを大切にするという今の形は、そのときから身についた行動と感じています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

自業自得と聞くと、自らがやってきた自業のために、よくないことが起こることと一般には認識されています。しかし、自業のために、よいことが起こるのも自業自得であり、その良いことが苦しみを与えることもあります。なりたいと願ってきた状態になれたのに、それが苦しみの元凶になっていることに気づくことができる人は、多くはないようです。

「人間の欲望にはきりがない」との言葉は教訓としても戒めとしてもよく使われています。生きていくために、憲法でもうたわれている文化的な生活に必要なことを求めるのは“欲求”です。この段階で止めることができず、求められるだけ求める“欲望”に踏み込むと、どこまで集めたとしても限度がなくなり、もっと欲しい、もっと買いたい、もっと持ちたいという無限ループに陥ってしまいます。

無限ループはコンピュータプログラムが同じ処理を繰り返して、終了できない状態で使われ、それと同じことをしている人を指すときに使われるようになりました。ITの世界にいて無限ループの怖さを体験してきた人が、自分が成功者(と呼ばれる人)になると、その怖さを忘れてしまい、自分の成功を象徴するようなモノを集め続けないと不安になり、集め続けることが目的ともなりかねなくなった例があげられます。

いつまでも終わらない欲望は、それがかなえられないときに苦しみと感じるようになります。これは自業によって苦しむことで、“自業苦”(じごく)と表現されます。この自業苦を楽な状態に変えることが“業苦楽”(ごくらく)です。これは私の勝手な解釈ではなくて、浄土真宗の開祖の親鸞聖人の教えです。

地獄に落ちないように善行を積むことが大切だと説くのは多くの宗教に共通していることですが、親鸞聖人は死んだら誰もが極楽浄土に行くことができると説いています。浄土真宗には地獄は存在していません。

死んでから無限ループの地獄に落とされることがない代わりに、生きているときに自業によって苦しむ地獄を経験することがあり、業による苦から解放されて楽になるのが極楽という考えです。

「偽る脳力」の間違った使い方によって自ら招いた欲望の地獄(自業苦)を変えることができなければ無限ループから抜け出せなくなります。何が苦しみの原因なのかに気づき、それを極楽(業苦楽)とするために正しく「偽る脳力」を使うべきです。

その気づきに応えてくれる力が脳にはあり、成長につれて確実なものとなっていきます。それを活かせるかどうかは、気づきの機会に巡り合えるか、その機会を自分のものとして受け入れることができるかで左右されます。その受け入れるための能力を身につけていくことを「偽る脳力」というテーマを通して伝えているのです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

脳梗塞になると、さまざまな機能の低下が起こります。五感(視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚)のうち低下がわかりやすいのは視覚機能で、正常に見ることができなくなることから発症に気づくことができます。

中には視覚の変化が起こりにくく、言葉のもつれやバランス機能の乱れが発症のサインとなっていることもあるのですが、視覚は脳の情報機能の80%以上を占めていることから症状が出やすく、また改善のためにも視覚を活用することができます。

脳梗塞では左脳と右脳の、どちらに障害があったかによって症状が出る方向が違ってきます。視覚を得る視神経は右目の神経が左脳につながり、左目の神経が右脳につながっています。これは視交叉と呼ばれるもので、視覚神経は下垂体の上の位置で交叉して、後頭葉に大脳視覚野に映し出されます。

詳しく説明すると、右目と左目で見たもののうち右視野の映像は大脳視覚野の左側に映し出され、左右の目で見た左視野の映像は大脳視覚野の右側に映し出されます。この両方の画像を合成して目で見た通りの画像情報が脳に認識されるようになっています。視覚異常が現れるのが両目の右側なら左側の脳に、それとは逆に両目の左側なら右側の脳に障害があった証拠とされます。

このような脳の仕組みを利用して、見えていない側の反対側の脳を刺激して、視野を回復させる方法があります。それはプリズム眼鏡を用いて、障害を受けていない視野を担う網膜に対して、障害を受けている視野の画像を投影させるもので、これによって見える状態を作り出して脳の機能を回復させていく方法です。

ミラーセラピーという機能回復法もあります。これは交流があった大学教授が脳梗塞から麻痺して動きにくくなっている手の機能を回復させた方法で、実際の治療に立ち合わせてもらったことがあります。

右手が麻痺している場合は、麻痺していない左手の動きを鏡に映して、それを見て右手がしっかりと動いていることを脳に認識させようとするものです。錯覚を活用しているわけですが、左右の手が同じように動かせていることを認識することによって、徐々に回復させていくことが可能です。

この方法が通じにくい患者もいて、その多くは脳梗塞によって障害を受けた脳が回復するはずがないと初めから諦めている人です。脳の機能を理解して、回復させることができると信じて取り組んでいる人は、自分の脳への感覚を偽ることをできる能力があり、その能力の高さが実際の脳の機能を高めていくことの証拠の一つとされています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「530(ゴミゼロ)の日」530運動環境協議会がゴ(5)ミ(3)ゼロ(0)の語呂合わせで制定。

「アーモンドミルクの日」アーモンドミルク研究会がアーモンドの実が5月下旬から成ることと、実(3)が丸く(0)なるの語呂合わせで制定。

毎月30日:「EPAの日」(日本水産)、「サワーの日」(宝酒造)、「みその日」(全国味噌工業協同組合連合会)

悪玉コレステロールと呼ばれるLDLコレステロールは悪いものではなくて、健康の維持には必要なものであって、多くなりすぎると動脈硬化のリスクが高まるということで、悪者扱いされているということを前回(そこが知りたい10)説明しました。

そして、これに対して善玉コレステロールと呼ばれるHDLコレステロールは、動脈硬化のリスクを低下させると同時に、LDLコレステロールを減らす作用もあるので、多くなりすぎて困るということはありません。

これと同じ関係性にあるのが腸内細菌の善玉菌と悪玉菌です。ということになると、悪玉菌は多くなりすぎると健康維持に悪い結果をもたらすことになっても、腸内に存在していないと困るものということになります。

腸内細菌は腸内に棲息する細菌で、腸内には1000種類、1000兆個を超えるとされています。種類のほうは数えることができても、数は推測数であって、以前は100兆個以上とされてきましたが、研究が進むにつれて増えてきました。

善玉菌も悪玉菌も細菌としてやっていることは同じです。それは栄養源(エサ)を取り入れて、代謝を起こして、代謝によって作る出された老廃物(代謝物)を外部に排出することです。

代謝物が人間の健康にとってプラスとなるものを排出する細菌を善玉菌、マイナスになるものを排出する細菌を悪玉菌と呼んでいるだけです。プラスになる代謝物は酸性で、酸性環境で増殖する善玉菌を増やしやすく、マイナスになる代謝物はアルカリ性で、腸内の酸性度が低下することで悪玉菌が増えやすくなります。

善玉菌と悪玉菌の健康的な割合は「善玉菌2:悪玉菌1:日和見菌7」とされています。善玉菌は腸内で発酵を進め、悪玉菌は腐敗を進めますが、悪玉菌は肉類などのたんぱく質を分解して排泄処理をする役割があり、動物にとって必要なものです。

悪玉菌が多くなりすぎると、毒素(有害物質)が多く作られるようになり、これが便通を悪くして、腸壁への刺激が強まって腫瘍、がんなどの要因にもなります。

日和見菌は善玉菌が多いときには善玉菌の味方をして、逆に悪玉菌が多いときには悪玉菌の味方をします。7割が腸内環境によって敵にも味方にもなるということで、善玉菌と悪玉菌の形成を一気に逆転させる日和見な存在です。

それだけに、できるだけ善玉菌を増やし、悪玉菌が増えすぎないようにすることが大切です。善玉菌の主な栄養源は糖質、乳製品(乳糖)、食物繊維で、悪玉菌の主な栄養源は動物性たんぱく質、脂肪です。このことがわかると、積極的に食べたほうがよいものと減らしたほうがよいものが見えてきます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「こんにゃくの日」日本こんにゃく協会と全国こんにゃく協同組合連合会が、こん(5)にゃく(29)の語呂合わせで制定。

「シリアルの日」日本ケロッグがコーンフレーク(529)と幸福(529)の語呂合わせで制定。

「エスニックの日」日本エスニック協会がエス(S)を5に見立てニック(29)の語呂合わせで制定。

「胡麻祥酎の日」紅乙女酒造(福岡県久留米市)が胡麻祥酎の普及のために口(5)福(29)の語呂合わせで制定。

毎月29日:「ふくの日」(日本アクセス)、「クレープの日」(モンテール)、「Piknikの日」(森永乳業)、「肉の日」(都道府県食肉消費者対策協議会)

歩き始めたときには、細胞のミトコンドリア内でエネルギー源としてブドウ糖が多く代謝します。これはブドウ糖が、すぐに代謝しやすい性質のエネルギー源となっているからです。ブドウ糖が中心に代謝しているのは10~15分間ほどで、それ以降は脂肪代謝が中心へと切り換わります。

この身体の仕組みから、ブドウ糖を積極的に代謝させて血糖値を下げたいときと、脂肪酸を積極的に代謝させて中性脂肪値を下げたいときでは、歩く時間とタイミングが異なってきます。また、歩く距離やスピードも違ってきます。

ウォーキングは長く歩くことも楽しみの一つですが、短い時間であっても効果的に歩くことで目標に近づくことも、また歩く大きな楽しみとなっています。効果が高まりやすい時間帯には長い距離を歩くのはよいことです。その逆に、効果が高まりにくい時間帯には短く切り上げて、次のよいタイミングに歩くようにすることです。

朝に歩くのと夕方に歩くのとでは、消費エネルギー量が違っています。消費エネルギー量が多いのは、自律神経の交感神経が盛んに働いている昼間の時間です。

ウォーキングの効果は、食事の前なのか後なのかという歩くタイミングによっても異なってきます。空腹時にウォーキングをすると血液中のブドウ糖が少ないために、不足するエネルギーは筋肉の中に蓄えられているグリコーゲンが分解されて使われています。グリコーゲンはブドウ糖が結びついた構造をしています。

このあとに食事をすると、グリコーゲンが使われたあとであることから、肝臓でブドウ糖から合成されるグリコーゲンの量が多くなります。そのため、血液中のブドウ糖の量が減って、血糖値が低くなるほど分泌されるインスリンの量が減ります。

インスリンは、肝臓で脂肪酸を合成させ、その脂肪酸を中性脂肪に変えて脂肪細胞の中に蓄えていく働きをします。そのため、食事の前のウォーキングは体脂肪減少の効果が高いことになります。特に夕食前の空腹時は、自律神経の副交感神経の働きが盛んになっています。

副交感神経がインスリンの分泌を高めるため、この時間帯に運動をすると交感神経に切り換えられて、インスリンの分泌量が減って、脂肪が蓄積されにくくなります。

食事の後のウォーキングは、血液の中にブドウ糖が多い状態で、歩くことによってブドウ糖がエネルギーとして使われれば、血糖値は少し下がります。しかし、食事前の空腹時に比べると効果は低いので、同じ時間のウォーキングをするなら食事の前にしたほうがよいといえます。
〔健康ジャーナリスト/日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕