1995年は、それまで専門家や事業者しか使うことができなかったインターネットが一般でも使えるようになったWindows95が発売された年であり、今では毎日のようにテレビで日本人の活躍が伝えられるMLB(古い人には大リーグのほうが伝わりやすい)に野茂英雄投手が初めて挑戦した年でもあります。
その一方で暗いニュースの代表のような阪神・淡路大震災で世の中がひっくり返った年であり、その暗い影を引きずるようにして起こった一連のオウム事件(地下鉄サリン事件から一斉検挙まで)が記憶に残る年でもありました。
その検挙を主導したのは警視庁で、その役目を担って警察庁の次長から警視総監に1994年に転身した井上幸彦さんとは、今年7月に米寿(八十八歳)の年齢でお亡くなりになるまで、交流をさせてもらいました。
内閣府は各省庁からの出向が多く、私が業界出向で出向いていた厚生労働省からも知人が多く所属していました。
しかし、それは今の消費者庁や公益認定等委員会、こども家庭庁などにつながる部署で、2001年の中央省庁再編の時期にはNPO法人(特定非営利活動法人)の担当が最も親しい方でした。
井上さんは、警察庁の警備・警務・公安の出身で、その関係者は内閣情報調査室に多く、今年(2026年)7月30日に消滅するまで、警察庁出身者が主流となっていました。
それが、7月31日からは、国家情報局に格上げになり、外務省、防衛省、法務省などの出向が主流となりました。
警察庁も国家公安委員会も内閣府の外局で、省庁の格付けでは下になります。そのため、内閣情報調査室も国家情報局も約730人体制で数としては変わりはないものの、警察庁の出向は半減しました。
25年ほどの間に、東京でも岡山に移住してからも情報調査の手法を学ばせてもらい、それは今からも役立つであろう健康リテラシーの根幹にもなっています。
〔小林正人〕






