日々邁進125 近代的な食の初めての経験

日本の栄養学は、戦後の栄養不足の時代から飽食の時代へと変化があり、不足を補うことから摂りすぎを抑えることへと変化していきました。

量だけでなく、質の変化も大きくて、摂取エネルギー量だけを見れば、終戦直後の「食べるものがない」ときと、現在の「食べるものが多すぎる」時代であっても、1日の摂取エネルギー量がほぼ変わらないという状態になっています。

それなのに生活習慣病が大きく増えたのは、“食事の洋風化”が最大の原因とされています。これは私の師匠筋の栄養関係者も認める(というよりも言い続けてきた)ことです。

不足から飽食に切り替わったのは昭和30年代後半で、その時期には平均寿命は延び続けている一方で、生活習慣病は多くはない理想的な時代と認識されています。

その大変化の時代の真っ只中を進んできたのは昭和28年から昭和33年に生まれた人たちで、終戦から10年を経た昭和30年(1955年)に生まれた私も、そのうちの一人です。

新潟県の漁村で生まれて、その後は小学3年生までは山村で暮らしていたこともあって、食生活は日本の伝統的な食そのものでした。初めてパンを食べたのは、私は4歳だったと父母から聞いていますが、山村の同級生の多くは学校給食で食べたコッペパンでした。

山村の小学校であっても子どもの栄養摂取のモデル校だったのですが、それでも1年生の時には弁当の持参、2年生で牛乳給食(弁当+牛乳)が始まり、3年生の時に完全給食が始まりました。

牛乳といっても脱脂粉乳を溶かしたもので、一般に認識されている牛乳とは違ったものでした。その違いを小学2年生で知っていたのは、1年生の時に家に毎朝届けられるビン入りの牛乳を飲んでいたからです。

それを届ける“牛乳少年”は同級生だったのですが、脱脂粉乳の牛乳給食で初めて飲んだときに、「こんな味なのか」と、想像していた味(おいしいもの)とは違ったということを言っていました。

配達している牛乳を飲んだことがなかったということですが、そのときには牛乳と脱脂粉乳の違いがわからない子どもが多かったという時代の話です。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕