前回の「無知の知」を題材にした日々邁進に続くのが、今回の「知らないままの発言は嘘になる」というお題です。
「無知の知」の対局に位置するのは“聖人”であり、悟っただけではなくて“悟り”を伝えて導いてくれる存在と一般に認識されています。
世に聖人(せいじん)と呼ばれる人は数多く、東洋医学の根源とも言われるインドからチベット、中国、そして東洋の外れ(極東)の日本に至るまで過去から現在まで、ずっと生まれています。
そんな悟った聖人の中でも、他に存在しないと考えられているのは親鸞聖人だということを伝えさせてもらっています。親鸞聖人の場合は“せいじん”ではなく、“しょうにん”と呼ばれます。
どこが他の聖人と違うのかというと、親鸞聖人の悟りは「悟れないことを悟った」ということです。
修行における自身の限界を自覚して、自力では悟りを開くことはできないと完全に諦めることで、阿弥陀仏の“他力本願”による救いに回心(えしん)しました。
親鸞聖人は20年間にわたる比叡山延暦寺での厳しい修業に打ち込みましたが、煩悩や欲望(貪り、怒り、愚かさ)をなくすことができず、「どんなに頑張っても自分は自力で悟ることができない凡夫である」という事実に行き着きました。
貪り(むさぼり)は際限なく欲しがることや、飽きることなく何かを求める状態を指しています。何も食べ物をガツガツと貪り喰らうことだけでなく、それ以外のものでも同じように見えてしまうのでは、欲望のままに生きているのと同じことになります。
自身の限界を認めた親鸞聖人は、自力を捨て去る決断(断つことを決める)をします。
そして、自らの力で迷いから離れられない人、日常の些細な出来事でさえも自己中心的に物事を判断して他者に勝手な期待を押し付けてしまう煩悩にとらわれた人を悪人と呼び、阿弥陀仏が必ず救うと誓った本来の救済の対象であるとする「悪人正機説」に辿り着きました。
悟った人が発する言葉ならよいものの、悟っていない人が悟ったかのように発する言葉を疑いなく受け入れてよいのか、と強く感じることがあり、このようなことを書かせてもらいました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕






