「業苦楽」という言葉は、今ではネット検索をすれば、いくつかは出てくるようになったものの、なかなか的確な説明がされていないように感じます。「業苦楽」の意味を説明するときに、引用すべき「自業自得」という言葉との相違点も充分ではないようです。
先に「自業自得」について書いておくと、自分の行いの報いを自分が受けることです。一般には、悪い行いによって悪い報いを受ける場合に使われることが多くなっています。元は仏教用語で、自分のした善悪の行為で、自ら苦楽の結果を招くことを表しています。
別の表現をすると仏教の“カルマ”に相当する言葉で、単なる業(過去に決まった未来、運命)ではなくて、自ら選択した行為そのものを指しています。
業は、身業(身体による行為)、口業(言葉による行為)、意業(心の思い=思考)の3つに分けられます。
自業自得は、自らの行為が招いたことであれば、どこかの時点に立ち戻るか、周囲との関係性から生じたことであれば、周囲の協力によって脱却することは可能です。
また、現在の心と身体の反応で起こっていることの連続であれば、意識的な選択によって未来は変えられることになります。
自業自得と似た意味の言葉としては「因果応報」がありますが、これも元は仏教用語です。人は良い行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるという意味です。こちらも一般には悪い行いによって悪い報いがある場合に使われています。
しかし、自業自得も因果応報も、良い行いも悪い行いも表しています。それなのに、良いことをした結果として良いことが起こるという考えが広まっていないのは、よほど悪いことが起こっているのか、良い思いをしていない人が大多数を占めているのか、それとも別のことが起こっているのかとの考えが浮かんできます。
お題の「業苦楽」は「自業苦」の対比として使われている言葉で、浄土真宗の宗祖(開祖)の親鸞聖人の教えの中に出てきます。業苦楽は「ごくらく」、自業苦は「じごく」と読みます。多くの人が聞いたことがある極楽と地獄を別の文字で表したものです。
洒落や酔狂で当て字(漢字本来の意味に関係なく、音や訓を借りて当てはめた漢字)をしたわけではなくて、本来の意味を活かして極楽と地獄について説いています。
といっても、浄土真宗は他の仏教宗派とは違って、地獄は存在していません。その地獄は死んでから堕とされるところではなく、生きているときに身に降りかかってくるもので、いわば“生き地獄”と言うことができます。
〔小林正人〕






