覚悟という言葉は「覚+悟」で、覚も悟も“り”をつけると覚り(さとり)、悟り(さとり)と同じ音の読みになります。
覚りは「苦しみの仕組みを理解して、苦を知り、目を覚ますこと」、悟りは「煩悩に気づいて、心の解放をすること」と意味合いが異なっています。
一般には“悟り”が知られていて、覚りの本来の意味が悟りの解釈とされています。
ここでは悟りを使って話を進めていきますが、悟った人といえば、お釈迦様が有名です。
お釈迦様はゴータマ・シッダールタ(インドのシャカ族の部族の長の王子)で、悟ることによって仏陀(ぶっだ)となりました。お釈迦様は仏陀であることは事実であっても、仏陀はお釈迦様とイコールではありません。
誰でも仏陀になる可能性がある(ないわけではない)ということで、現在の仏陀(宗教や教えによって呼び方は異なる)を目指した修行や留学などが行われています。
お釈迦様は何を悟ったのか、ということですが、これについては壮大な意味合いの解釈から、個人的な悩みを解消しただけという解釈まであって、なかなか答えが出しにくいところがあります。
お釈迦様が王家から出家したのは、「人は皆、生・老・病・死の苦しみを経験しなければならないのか」という人を苦しめるものからの解放を探し求めたからです。
この苦しみからの脱却のために、お釈迦様は苦行を続けていました。
そんなときに出逢ったのが村娘のスジャータで、激しい修行で命を落としかけていたお釈迦様に乳粥(ちちがゆ:牛乳で米を煮込んだ栄養食)を差し上げて、体力を回復させました。
悟りを開くきっかけとなったのはスジャータの歌で、その内容は「琴の弦はきつく締めすぎると切れてしまうが、緩く締めると音が悪い。琴の弦は適度に締めるのが望ましい」というものだったといいます。
これを聞いたお釈迦様は、苦行が間違っていたことに気づき、苦行を捨てて中道を見出し、菩提樹の下で真理に到達しました。その真理こそが悟りだと伝えられています。
〔小林正人〕






