講話のまくら・番外1 食う寝るところに住むところ

「食う寝るところに住むところ」は、古典落語の『寿限無』の有名なフレーズに出てくる言葉です。長い名前を言い立てる早口言葉で、言葉の意味を説明されないと理解しにくい言葉の連続の中でも、「食う寝るところに住むところ」は、すんなりと耳に飛び込んできます。

寿限無は子どもの名前をつけるために相談したところ、縁起がよい言葉を教えてもらい、その全部をつけたことから、とんでもなく長い名前になったという前座噺の定番です。

「食う寝るところに住むところ」は、生きていくのに必要な食と住が満たされることへの祈りであり、食べるものと住むところに一生、困らないように、という子どもの健やかな生活と将来への切実かつ実用的な願いが込められています。

私が、講話のまくらとして寿限無(寿限り無し)を使うのは、自分自身の「食う寝るところに住むところ」が健康づくりの活動の基本となっていることを伝えたい気持ちもあってのことです。

個人事業主やフリーランスで仕事をする人は、住まいが仕事場というのは普通にあることです。NPO法人や一般社団法人は、小型の組織では代表者の住まいが法人の登記場所というのも普通にあることです。

あくまで住まいが主で、そこを仕事場としているということですが、私の場合は仕事場が住まいになっているという感覚です。社宅というわけではなく、仕事をするのに相応しいところに住んで、健康づくりに関わる仕事を継続させてきました。

時代の多様化に合わせて、一人の人間が複数の仕事をすることになり、それぞれの付き合う人によって法人の窓口が違ってくることは当然あります。とはいっても、仕事をする私自身に変わりがあるわけではないので、住まいが複数の法人の登記場所になることも珍しくありません。

どの法人が住まいを用意するのか、ではなくて、すべての関わる法人が協力して住まいを確保して、そこで仕事をするということで、本人としては多くの町内会の支えで担がれている“御神輿”のような感覚になっています。

私が講話で話すことの中心は、食べること、動くこと、休むことを全部取り入れた生活そのものなので、「食う寝るところに住むところ」が象徴的な言葉と感じています。

御神輿は、自分で行き先を決められるわけではなくて、動くのも止まるのを担ぎ手に任せるしかありません。私の健康関連の講話は、求める人の気持ちに合わせることから、御神輿を例としてあげているのです。
〔小林正人〕