「オムレツの日」日本シュリンク包装卵協会が、オム(06)レツ(02)の語呂合わせで制定。
「甘露煮の日」平松食品(愛知県豊川市)が、佃煮誕生のきっかけとなったとされる本能寺の変(1582年6月2日)に由来するとともに、甘露煮の露(6)煮(2)の語呂合わせで制定。(本能寺の変を知った徳川家康が岡崎に逃げる途中で小魚を煮たものを食べたと伝えられる)
「おむつの日」大王製紙が、おむつ(062)の語呂合わせで制定。
「オムレツの日」日本シュリンク包装卵協会が、オム(06)レツ(02)の語呂合わせで制定。
「甘露煮の日」平松食品(愛知県豊川市)が、佃煮誕生のきっかけとなったとされる本能寺の変(1582年6月2日)に由来するとともに、甘露煮の露(6)煮(2)の語呂合わせで制定。(本能寺の変を知った徳川家康が岡崎に逃げる途中で小魚を煮たものを食べたと伝えられる)
「おむつの日」大王製紙が、おむつ(062)の語呂合わせで制定。
「何のために学ぶのか」という問いに対する回答は一つではなく、さまざまな考え方があってよいと認識されています。また、個人の状況によって、時々の状態によって学ぶ意義や意味が変わるということもあります。
その多くの回答(選択肢)の中でも、共通しているところが比較的多いのは「日常生活に役立つことを知る」ということです。それを否定するわけではないのですが、通じないこと、通じにくいこともあり、そのようなときには“違った目線”を持つことをアドバイスすることも必要になってきます。
その例として出されることが多いのは、身近にあるものをあげていくという社会の授業です。さらに例としてあげられる地域は、全国的に知られている電気の街の秋葉原です(今では子どもなどにはアニメの街などのイメージがあるかもしれませんが)。
秋葉原に住む子どもたちが通う小学校では、地元にある店舗や施設をあげていく授業では電気屋さんが上位(トップ)にくるのは理解できます。
秋葉原に住んでいて、離れた地域の小学校に通っている子どもが、同様の授業や試験問題があり、同様に自分が住んでいる街(地域)の店舗や施設をあげていくときに、その選択肢の中で電気屋さんが入っていなくて、他の店舗や施設もないので書くものがないということがあります。
実際に秋葉原に住む小学生の家庭教師をしていた大学生の声がSNSで話題になって知られるようになったことですが、実際に自分の住んでいる地域や毎日見ているものと違っていたときに、どのように答えていくのがよいのか、ということを教えるべきだということがあげられています。
生活環境を中心に考えるだけでなく、広く見て、それに合わせていくという「日常生活がすべてではない」という見方を教えることも大切ではないか、それが伴歩をする者の意識として大切ではないかという例となる話です。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕
新たな活動を始めるときに、どこから資金を集めてくるか、ということが重要なテーマになることがあります。資金といっても、その金額だけで活動費も参加するメンバーの生活費を賄おうとする場合もあれば、動くだけの金額(交通費や通信費など)があれば充分ということもあります。
資金の目的によって、集める金額も集める対象も違ってきます。多くの方々の少額を積み重ねて、一定の金額が集まったところで活動を始めるということであれば、本当にわずかな金額で始めることも可能です。
この場合には、目的の金額が集まらなかったといって(言い訳して?)、活動の規模を小さくするか、活動の開始を遅らせるということも許されるかもしれません。
ところが、社会課題の解決のための活動となると、どうしても一定の金額は必要になります。それも短期間だけ実施すればよいということではなくて、できるだけ長く、場合によってはスタートさせた人が誰もいなくなっても(私が死んだとしても)継続できるだけの内容にしなければ、スタートさせる意味と意義がないと考えています。
だからといって、大きな資金が見込めなければ始められないということでは、いつまで経っても社会課題の解決は遠い道のりになりかねません。大きな支援が得られるようにするためには、小さな成果でもよいので見てわかる結果が必要であり、幅広く集めることは重要なアプローチ法となります。
大きな資金を集めることと同時に、小さな資金を集めることにも着手するということですが、その小さなアプローチ先として掲げたときに、多くの場合、反対をされることがあります。
それは少額も、なかなか出してもらえないような人の元を回ることです。このことを評した言葉が、今回のお題の「貧しい人への托鉢」です。
托鉢(たくはつ)は、僧侶が鉢を携えて街を歩き、布施を求める修行を指しています。修行という言葉を使うと、なかなか金品を出してもらえなくても挫けることなくアプローチすることが修行になる、といった捉えられ方をするのですが、修行になるのは寄付を集めて回る人だけでなく、布施をする人にとっても修行となります。
そのような考え方を示したのは、仏教の開祖の釈迦です。
釈迦は托鉢をする先として、貧しい人の元にいくことを説いています。貧しい人は自分のためにお金を使っても、与える喜びを知らないから貧しいままなのだ、という考えです。だから、貧しい人にこそ托鉢をするべきだと教えています。
布施を求める側は、無心に歩き、布施を求めるのではなく、自然に布施されるのを待ちます。布施をする人は、自分の財産を喜んで捨てることで、執着を断ち、功徳を積むとされています。
この連載コラムのテーマの「日々修行」は、托鉢の修行のようなもので、毎日欠かすことなく、さまざまな人に主に健康や学びに関する情報を提供しながら、鉢を携えて訪ね回っているようなものだと考えています。
そして、連載を続けて、何かを求めようということではなく、自然に手を差し伸べてもらえるのを待つようにしています。
ただ、自分の年齢(古希)になって、これを続けて継続できる内容が組み立てられるのか、その疑問は常に付き纏っています。しかし、それを拭い去って歩み続けることが日々の托鉢の修行と合致しているのではないか、との考えに辿り着こうとしています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕
発達障害がある人は、自律神経調整が乱れやすいことが指摘されています。起きている時間帯は自律神経の交感神経の働きが盛んになり、夕方以降から就寝中は副交感神経の働きが盛んになって、活動と休息の身体調整が行われています。
自律神経の自動車にたとえられることがあり、アクセルにあたるのが交感神経、ブレーキにあたるのが副交感神経となります。速度を出さなければならないときにブレーキを強く踏むようだと、走るのが遅くなるどころか止まりかねません。
そんな状態になっているのに、身体も脳も活発に働かせようとすることは心身の負荷を強めて、心身のダメージを高めることにもなります。学習にも当然のように大きな影響を与えることになります。
ここで大人の例を出しますが、夕方や寝しなにアルコール飲料を多く飲むと、寝つきはよくても熟睡できなくなり、眠りが浅くなり、成長ホルモンの分泌も低下します。
成長ホルモンは大人の場合には主には回復の働きとなっているのに対して、子どもの場合には、その名のとおり成長のホルモンで、脳の成長にも大きな影響を与えています。
飲酒によって眠りが浅くなるのは、寝ている間も交感神経の働きが盛んになっているためで、それと同じ状態が発達障害では起こっていると考えると理解しやすいかと思います。
自律神経は興奮と抑制といった働きの調整で、心臓の拍動や呼吸、血流にも影響していますが、食事による栄養摂取から排泄までの流れに大きく関わってきます。唾液も胃液も交感神経は分泌を減らし、副交感神経は分泌を増やします。
腸の吸収と蠕動運動を高めるのは副交感神経で、これを弱めるのは交感神経です。また、排泄もスムーズにするのは副交感神経で、停滞させるのは交感神経です。
ゆっくりと寝て、心身ともに休めたいのに、交感神経の働きが副交感神経を上回るようなことになると、朝食も消化・吸収がうまくいかなくなり、食後のトイレもスムーズにいかなくなります。そして、昼間の時間帯にお腹がすかずに、トイレに行きたくなるというようなことも起こってしまうのです。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕
「日本人の食事摂取基準(2025年版)」では、今後の課題の概要について説明しています。
〔概要〕
食事摂取基準は、国民の健康の保持・増進、生活習慣病などの予防(発症予防)を目的として策定され、個人にも集団にも用いるものです。また、生活習慣病などの重症化予防に当たっても参照すべきものです。
食事摂取基準で示されるエネルギーと栄養素の基準は、次の6つから構成されています。エネルギーの指標はBMI、栄養素の指標は推定平均必要量、推奨量、目安量、目標量、耐容上限量です。
なお、生活習慣病の重症化予防を目的として摂取量の基準を設定する必要のある栄養素については、発症予防を目的とした量(目標量)とは区別して示されています。
各指標の定義と注意点はすべて総論で述べられているため、これらを熟知した上で各論を理解し、活用することが重要です。
目標量の設定で対象とした生活習慣病は、高血圧、脂質異常症、糖尿病、慢性腎臓病です。同じ指標であっても、栄養素の間で、その設定方法と活用方法が異なる場合があるので注意を要します。
食事摂取基準で示される摂取量は、すべて性・年齢区分それぞれにおける参照体位を想定した値です。参照体位と大きく異なる体位を持つ個人または集団に用いる場合には注意を要します。
また、栄養素については、身体活動レベル「ふつう」を想定した値です。この身体活動レベルと大きく異なる身体活動レベルを持つ個人または集団に用いる場合には注意を要します。
食事摂取基準で示される摂取量は、すべて習慣的な摂取量です。原則として、1皿、1食、1日、数日間などの短期間での管理を前提としたものではないため、これらに用いる場合には注意を要します。
食事摂取基準の活用に当たっては、食事調査によって習慣的な摂取量を把握し、食事摂取基準で示されている各指標の値と比較することが勧められています。
なお、エネルギーはエネルギー摂取量ではなく、BMIと体重の変化を用いることが勧められています。また、食事調査は、それぞれの長所・短所を十分に理解した上で用いることが重要です。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕
「日本人の食事摂取基準(2025年版)」では、今後の課題として、活用上の課題について説明しています。
◎活用上の課題
個人を対象とする場合も、集団を対象とする場合も、食事摂取基準の適切な活用には正しい摂取量推定に基づいた食事評価が必要です。
ところが、食事摂取基準の活用に適した食事調査法の開発(そのための研究を含む)と食事評価に関する教育と普及は十分とは言い難い状況があります。
このため、適切な食事調査法の開発研究と、その結果を踏まえた適切な食事評価方法についての教育・普及活動が、必須かつ急務の課題となっています。
献立などの作成あるいは摂取量推定では、多くの場合、日本食品標準成分表が使用されます。
日本食品標準成分表で採用されている測定法の変化により、エネルギー、いくつかの栄養素の食品中成分値に変化が生じています。
「日本人の食事摂取基準(2025年版)」策定時に根拠とした研究論文の多くは、旧来の測定法(「日本食品標準成分表・七訂」以前に採用された測定法)に基づく食品中の栄養素含有量を栄養計算に用いていると考えられています。
よって、「日本人の食事摂取基準(2025年版)」で示された基準値と、「日本食品標準成分表・八訂」)を用いて栄養計算を行った結果を比較する際には、測定法の違いによる誤差が発生することがあり、注意が必要です。
この誤差への対応には、さまざまな集団での食事について、「日本食品標準成分表・七訂」と、それ以降の最新版の日本食品標準成分表を用いた場合の栄養計算結果の差に関する検討が複数必要となります。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕
一生懸命に学ぶことは尊重すべきことで、その知識はいつまでも活かしてほしいとは思うのですが、学んだ情報が古くなり、しかも間違いとされるほどに古くなってしまったら、それは更新する必要があります。
しかし、学んだ人に最新の情報が届かなかったら、更新するどころか、情報が古くなっていることにも気づかず、間違い情報を引きずってしまうことになります。
さらに困ったことは、学んだ人が教える立場になっていて、古いままの情報を他の人に伝えることです。一生懸命に普及しようと頑張っていることが、間違いを広めることにもなりかねないのです。
特に影響が大きいのは健康に関わる情報で、医学や科学は研究の進み具合も早く、思った以上に情報が古くなりやすいので、情報更新は頻繁に行われなければなりません。健康を考えて伝えたことが、健康を害することにもなりかねないのです。
「そのことを意識して常に学ぶ必要がある」と言われても、教えた側が更新情報を発信しないことには、いくら学ぼうとしても学べないことにもなります。だから、教えた側の責任として、常に最新情報を検索して、情報発信を行う必要があります。
このことを講習で話すときに、印象を残すために諺(ことわざ)をもじった言葉を使っています。それは「信じるものは掬われる」です。これを言葉で言われても、多くの人は「信じるものは救われる」のほうを思い浮かべて、何を言っているのかと疑問符だらけになります。
そこで先に“足元を掬われる”ということを話しておいてから、「信じるものは掬われる」を繰り出します。足元だけでなく身体ごと掬われるようなことになるので、学んで身につけたことを、ただただ信じるのではない、常に間違っているのではないかと疑いながら情報更新をしていくことの重要性を伝えるようにしています。
これまでの常識は間違っているのではないかと常に疑ってかかるというのは、あまり気分がよくないことかもしれませんが、学校で学んで常識として覚えていたことが逆転したという体験談を栄養学の重鎮から聞きました。
随分と昔の体験で、終戦後に栄養士として病院に配属されたときに、医師からの糖尿病の約束食事箋(病院給食の処方箋に該当)で糖分を多くすることが指示されていたといいます。
尿から糖が多く排出されるので、それを食事で補うように指示されたということです。
現在の常識では、糖尿病は糖質の中に含まれるブドウ糖が血液中で多くなることが原因で起こり、食事では糖質を減らしぎみにするということになりそうです。
それなのに糖質を多くすることを指示されたという話をしてくれて、今の常識はいつまでも常識ではない、いつ非常識になるかわからないという戒めとして伝えられています。
これで話は終わりではなくて、病院の栄養管理では、糖尿病の予備群の人には糖質を減らしても、糖尿病になった場合には、ご飯を多くした食事が出されます。
糖尿病になるとご飯の量を減らさなければならないと思っている人には、「この病院の栄養管理は大丈夫か」と思ってしまうような驚きを与えます。“てんこ盛り”のご飯は常識はずれと思われるところですが、糖尿病患者の糖質(炭水化物)のエネルギー量での割合は40〜60%とされています。
量の多さだけでなく、20%もの開きがあることも驚きを感じさせるところですが、糖尿病が進行してくると膵臓から分泌されるインスリンの量が大きく減るために、ブドウ糖の取り込みが大きく減ります。
そんなところに糖質を減らしたら、全身の細胞が必要とする重要なエネルギー源のブドウ糖が不足して、細胞レベルからの健康が保てなくなります。だから、インスリン分泌に合わせた糖質の調整が必要になるのです。
糖尿病は血糖値(血液中のブドウ糖の量)で判断されるもので、ブドウ糖が少なければ血糖値は下がります。だからといって糖質制限をすれば糖尿病が治る、健康が保たれるというような安易な考え方をしていると、まさに足元から「信じるものは掬われる」ということになりかねないのです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕
「氷の日」日本冷凍事業協会が陰暦の6月1日が江戸時代の氷室の日であったことから制定。
「氷みつの日」井村屋グループが氷(5)みつ(32)の語呂合わせで、5月32日=6月1日となることから制定。
「麦茶の日」全国麦茶工業協同組合が麦茶の季節の始まりで、衣替えの日でもあることから制定。
「チューインガムの日」日本チューインガム協会が6月1日は歯固めの日として硬いものを食べて健康増進を図る風習があることから制定。
「鮎の日」全国鮎養殖漁業組合連合会が鮎の旬が6月であることから制定。
「牛乳の日」Jミルクが国連食糧農業機構の世界牛乳の日に合わせて制定。
「ロールアイスクリームの日」SomethingNEW(東京都港区)が6をロール、1をアルファベットのIに見立ててアイスと読んで制定。
「梅肉エキスの日」梅研究会(大阪府大阪市)が、梅の実のシーズンの6月の初めの日を制定。
「長崎ちゃんめんの日」焼肉坂井ホールディングス(愛知県長崎市)が、長崎ちゃんめん1号店が開店した1971年6月1日にちなんで制定。
「鼠径ヘルニアの日」日本ヘルニア学会が、6がヘルニアの膨らみやヘルニアが出てくる穴に似ていることと、同学会が一般社団法人となった2023年6月1日にちなんで制定。
毎月1日:「あずきの日」(井村屋グループ)、「釜めしの日」(前田家)、「Myハミガキの日」(ライオン)、「もったいないフルーツの日」(ドール)
今回のお題の「柏崎のフォッサマグナ」については以前にも少し触れたことがあるのですが、そのときには都合が悪いことを隠すといった意味合いで書きました。
そのときのポイントは、糸魚川ー静岡構造線ばかりが取り上げられて、柏崎ー千葉構造線のほうは建設物の安全性について自治体の資料からも抜けていて、学校教育でも触れられないまま来たということでした。
柏崎ー千葉構造線のことを知ったのは、高校生のときで、当時は新潟県柏崎市で学んでいました。糸魚川ー静岡構造線のほうが有名な存在でしたが、それと同時に新潟県内には柏崎ー千葉構造線もあって、柏崎と糸魚川の間は約90kmの距離でした。
この距離を何度も列車で行き来していました。というのは、中学校2年の夏から3年まで糸魚川の中学校に通っていて、父母が糸魚川市にいたので、高校生になってからも頻繁に行っていたからです。
両方の構造線がある地域に住んでいたので、フォッサマグナが生み出す地形には関心があって、中学校でも高校でも地学の教師とともに何度が歩く機会を得ていました。
フォッサマグナは弓形の日本列島の“折れ曲がったところ”というのが普通の認識で、あまり危険性は感じていなくて、大地震があっても大きな被害はないだろうという感覚でした。
柏崎では中越地震(2004年)と中越沖地震(2007年)があり、後者では私の実家が最も大きな被害を受けたものの、子どもの頃に噂されていた日本列島が切り離されてしまうというようなことにはならなかったのは誰もが知っていることです。
私が高校3年生のときに、地元選出の国会議員が総理大臣になり、上京した先の大学1年生のときの総理大臣の私邸の錦鯉の世話をすることになり、それが今に続く数多くの経験のきっかけになったことは「日々修行」の中で何度か書いてきました。
大学生のときに柏崎に原子力発電所ができることを知り(ニュースで流れる数年前)、電力会社の特別な部門への就職を話されたこともあったのですが、卒業後は東京で暮らすことにして柏崎の実家は弟に任せることにしました。
柏崎から千葉につながる構造線に何か起こったとしても原子力発電所が設けられるのは、柏崎だということは、言ってはいけないのは政治家の手前だけでなく、知っていても口に出してはいけないのは当たり前のことです。
そのことを自分に言い聞かせるときには、ネット検索で柏崎ー千葉構造線のキーワードを打ち込んで、画像(地図)で確認していました。当時に比べると、随分と柏崎ー千葉構造線は詳細な画像が出るようになっています。当時であったら、これを示して原子力発電所の反対運動が起こりそうなくらいの内容です。
それ以外にも言ってはいけないことの連続で、それは東京から離れて岡山に移住する8年前まで続きました。今では少しは“噂ばなし”程度では話題にすることはあっても、誰にも言ってはいけないことを言わなかったから今まで生き延びることができて、これからも生きていけるのではないか、と考えているところです。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕
セカンドステージの活動をNPO法人(特定非営利活動法人)として実施するために設立の相談を自治体にしたときのこと、担当窓口にセカンドステージの意味について聞かれました。
「退職者を対象とした活動か?」「セカンドライフとの違いは何か?」という質問がありましたが、定款案にも申請の書面にも「退職者」という用語は使っていなくて、対象者を限定する(狭める)つもりもない活動だと説明しました。
セカンドステージの発想としては、セカンドライフを少しだけ参考にしたところがあります。それは真似をする、エッセンスをいただくということではなくて、従来の活動の限界点を明らかにするためのモデルとして使いました。
セカンドライフは企業や団体の退職者を対象として、組織から離れた人の生き甲斐づくり、健康づくりを目指して設立されたもので、その資金は企業や団体から拠出されています。
企業や団体はOB会などを設けて、退職後にもつながりを持って広く支援してもらう活動を以前から続けてきました。
それは意義があることと認められるものの、現役時代の上下関係や仕事上の関わりを引きずるところがあり、活動に参加したくても、元の職場の方々とは関わりたくないという声は以前からありました。
そこで大手の企業や団体が資金を出し合って、退職後にも心身ともに健全でいられる場を設けるという考えで、セカンドライフの法人が設立されました。
私は設立そのものには直接は関わらなかったのですが、生き甲斐づくりの活動の健康関連の学びと実践、情報提供を行ってきました。
長生きの時代になって、退職後の人生が長くなるにつれて、協会の活動に参加する人が増えてきて、そこには出身企業・団体の方々も増えてきました。
また、所属していた企業・団体との付き合いがあるところとの関係性もあって、結局は過去の関係を気にしながら参加することに息苦しさを感じるとの声も増えてきました。
そこがセカンドステージの設立を目指したときに考えを及ばせたところで、以前の関係があったとしても、それを引きずらない仕組みを作ることが重要でした。
団体の組織体制は、どのように考慮しても似たような形になってくるのは仕方がないことで、それならば誰かが作った仕組み、誰かの意向で左右される仕組みではなくて、参加する人たちが自ら作り上げていくことを基本としてセカンドステージの活動を組み立てていくことにしたのです。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕