投稿者「JMDS」のアーカイブ

テーマの「業苦楽」(ごくらく)は、自業(自分がやってきたこと)によって苦しむことを経験した先に“楽”があることを指しています。これは浄土真宗の宗祖である親鸞聖人の書にある言葉です。

「業苦楽」の手前にある自業によって苦しんでいる状態は「自業苦」(じごく)であって、死後の地獄が存在しない教えの浄土真宗では、地獄は生きている間に経験する「自業苦」であるとの解釈です。

自業というのは、自らの業(すべての行為)ということなので、自分のやったことが自分にだけ返ってくるということならまだしも、その結果は自分の家族にも直接・間接を問わず降りかかってきます。

家族なら、良いことも悪いことも一緒に経験するのは仕方がない存在ではあっても、これが他人となると“仕方がない”では済まなくなります。それは経営者と従業員の関係、従業員の上下関係であっても、他人であれば、その人の業の影響を受けることなど誰も望んではいません。

このことは自業による苦を与えている人は案外と気づいていなくて、苦を与えられている人にとっては、思った以上に苦しい思いとして感じてしまいます。

よく言われる「足を踏まれた人の痛みは踏んだ人にはわからない」ということと同じで、そのようなことがないように心がけていたとしても、痛みを与えることはあるのです。

それだけに、自業によって周囲を苦しめていることからも解放されることまで思いを及ばせて、苦の先の業苦楽(ごくらく)を与えられるように努めるべきだということを伝えさせてもらっています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「抹茶新茶の日」丸七製茶(静岡県島田市)が茶は草冠が十と十、下を八十八とすると百八になることから立春から数えてほぼ108日目になる5月22日を制定。

「たまご料理の日」全日本うまいもん推進協議会が5月の05でたまご、22日をニワトリ、ニワトリと読む語呂合わせで制定。

毎月22日:「カニカマの日」(スギヨ)、「禁煙の日」(禁煙推進学術ネットワーク)、「夫婦の日」(毎日新聞、味の素など)、「ラブラブサンドの日」(日糧製パン)

人手不足、働き方改革という言葉を使えば、なんでも許されるような雰囲気が徐々に広まっていて、以前であれば宅配便は早ければ遠方であっても翌日に届いていたところが、翌々日は当たり前のようになっています。

注文したものが届けられるまでに日数がかかるというのは、身近なことであっても生活に困る、健康に大きな影響を与えるということではないのですが、今から15年後を考えると、今の不便さは振り返ってみたときには大したことがなかったように思えてしまうことになってしまいます。

その一つの例が、厚生労働省が発表した労働人口の偏りの予測で、2040年には全労働人口の20%が医療と福祉・介護で働かないと日本のシステムが立ち行かなくなると考えられています。

この予測が出されたときには、まだ海外の労働者が今ほど減っていない時期で、円安も進んでいなかったので、まだまだ国内全体の海外からの働き手が期待できているときでした。

病院は治療をするところから、今では最期を迎える場所にもなっていて、全死亡者のうち医療機関で亡くなる人の割合は約65%にもなっています。

自宅で最期を迎えたい、という望む人は内閣府の調査では55歳以上の半数を超えているものの、実際には17%ほどとなっています。

1976年に、自宅で亡くなる人と医療機関で亡くなる人の数が逆転して以来、医療機関で治療を受けていて、そのまま亡くなる人は増え続けています。

亡くなる人が増えていても、医療機関のベッド数が増えているわけではなくて、1週間の長さも変わっていません。となると、病院で休みの日(土日、祝日など)に亡くなる人は増えていてもおかしくはないのですが、休みの日に亡くなる人は平日に比べると少なくなっています。

亡くなる人の話の前に、少しだけ生まれる人の数について触れておくと、休みの日に生まれる数は少なくなっています。これは医療機関の職員の数が少ないときには、その前後の平日に生まれるように調整しているということは以前から言われてきたことです。

それに対して、亡くなる人はというと、まさか休みの前に“調整”するようなことはないとは思うのですが、休日を終えて平日になったときに亡くなる人が多いのは事実です。これは延命措置のおかげなのか、それとも別の理由があるのか。

そういったことまで考えないといけない時代になったのは、それだけ慢性疾患で病院に入院して、回復しないまま最期を迎える人が増えているということです。

慢性疾患で入院したら、もう先がないというようなことがないように、何かできることがないのかと、ずっと考えてきたのですが、今もって結論らしいことは出せずにいます。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

日本の栄養学は、明治時代から始まっていたものの、国民の健康づくりの基本として据えられたのは終戦後のことです。それは終戦から2年後の1947年(昭和22年)からとされています。

戦後の日本は極端な食糧難の状態でした。その原因としては戦争の徴用と軍需産業への動員のために農村労働力が減少したこと、農機具や肥料が欠乏状態だったことに加えて、異常気象によって米の生産量が平年の半分以下という不作であったことがあげられています。

このような時代背景であったことから、日本の栄養学は栄養不足による健康状態の悪化を改善することから始まりました。このときの栄養学は国民全体の栄養状態を良くすることが重視されたことから、のちに「公衆栄養学」と呼ばれました。

その当時の平均寿命をみてみると、1947年には男性が50.06歳、女性が53.96歳でした。現在(2024年)では男性が81.09歳、女性が87.14歳となっているので、男性は31.03年、女性は33.18年も平均寿命が延びています。

これには栄養摂取の向上が大きな影響を与えました。1946年(昭和21年)の摂取エネルギー量(男女平均)は1903kcalでしたが、1955年(昭和30年)には2104kcalとなり、翌年に発表された『経済白書』では、戦前の最高水準を上回る回復を遂げたことから、「もはや戦後ではない」と宣言されました。

1975年(昭和50年)には摂取エネルギー量は2226kcalと、現在と比較しても最高レベルに達しました。その一方で、過剰摂取による生活習慣病の患者は増え続け、食事の関心も飽食の時代に対応する内容へと変化しました。

ただ食べ過ぎを抑えることだけでなく、性別、年齢、活動などに合わせて、個別に対応することが重視されるようになりました。2008年にはメタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)に対応する特定健診・特定保健指導が始まりました。この個人対応の栄養学は「人間栄養学」と呼ばれました。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

発達障害では、文字が二重に見える、文字が重なって見える、文字が動いて見える、大きさが変化する、点描画に見えるといったように、視覚情報処理の異常によって文字を読み取ることが困難な状態も起こっています。

このような困難があると、文字が見えにくいだけでなく、文字と図の区別、画数の多い漢字の識別が難しくなり、文字とルビが重なって見えるといったことも起こります。

文字の間隔が広ければ見やすくなることもあり、その場合には通常の教科書では学べないことにもなるため、サブテキストやコピーを活用することが必要となります。

発達障害の視覚過敏には白色が眩しく見えることがあり、机に置いてある紙が後方からライトを当てられたように見えることがあります。そのために紙に書いてある文字が見えにくく、文字の形を正確に認識することも難しくなっています。

また、そのような中で文字を見ることは強いストレスがかかることであり、目の疲労だけでなく、精神的にも非常に疲れやすく、そのことが学習への意欲を失わせることにもなっています。

紙の色だけが問題ある場合には、紙の色を白から他の色に変えることによって見やすくなることがあります。白い紙と黒い文字の組み合わせはコントラストが強くなり、一般には見えやすい色の組み合わせは刺激が強くなって見えにくくなります。コントラストを弱めることによって見えやすくなる例も多くなっています。

眩しく感じて見えにくい場合には、多くの文字があることで困難さが増すことから、重要な部分にだけ蛍光のカラーペン(マーカー)で色をつける方法が使われます。これによって情報量が調整されることで、抵抗感を弱めることができます。

情報量を減らすためには、読む範囲以外を隠す、長い文章はスラッシュで区切って一度に読む範囲を占めるという方法も使われます。

それと同時に、文字が大きく、見やすい字体(フォント)にすることも必要になります。字体への反応は個人によって異なるため、それぞれの子どもにとって見やすい文字を把握することが重要となります。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

「ニキビの日」ガルデルマ製薬(スイス・ローザンヌ市)と塩野義製薬が5(いつも)2(ニキビは)1(皮膚科へ)の語呂合わせで制定。

毎月21日:「木挽BLUEの日」(雲海酒造)、「漬物の日」(全日本漬物協同組合連合会)

発達障害児を対象とした教育内容は、三大発達障害とされる自閉症スペクトラム障害、注意欠陥・多動性障害、学習障害によって対応が異なります。

学習障害の改善を目的とした学習教材が数多く市販されていますが、それぞれの著者の考えを反映した内容に終始したものが多く、すべての発達障害児に共通して使用できる内容とはなっていません。

三大発達障害による特性だけでなく、それぞれの発達状態には大きな差があり、三大発達障害が重なり合って現れることも少なくありません。同じ教材を使用しても理解や進み方にも差があるため、個別に対応していかなければならないのが実情です。

ところが、学習塾では3〜5人を対象とした教室が多くなっています。これは受講料と講習費用を換算しての結果で、継続的な経営のためには仕方がないことだと言えます。

しかし、大きな個人差が生じている発達障害を改善するための講習に求められているのは、各人の状況に合わせると同時に、潜在能力を引き出すことができる内容です。

そのため、それぞれの子どもの理解度に応じた振り返り学習を採用して、同じ教室に複数の子どもがいる場合には、それぞれがつまずいている段階の教科書を持参使用して、振り返り学習によって、それを乗り越えることができるようにポイントを絞った講習を各人に実施していくことが求められています。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕

仕事は「一本立ち」と「分業」に分けて考えるべきだということを初めて教えてくれたのは、大学生時代に教えを乞うていた文筆家の先生でした。今から50年も前のことです。

そのときの強い印象と奥深さが心に残っていて、それ以降に同様のことを経営論、ビジネス論として教えてあげようという調子で語ってくれた方もいたのですが、初めの印象を更新するほどの感激が得られることはありませんでした。

この間の50年間には、さまざまな人との出会いはあったものの、最初のインパクトを超えることはなくて、だからこそ一期一会の感覚で出会った方々と付き合うようにしてきました。

「一本立ち」と「分業」は、どちらも独立性と専門性を意味していて、組織体制において重要な概念となっています。

一般的な解釈から書いていくと、「一本立ち」は、1人で独立して事業を行うことや、特定の役割を独立して遂行することを指しています。

組織から独立して個人事業主になることや、組織の中にいても独立性をもって(自由度が認められた状態で)仕事ができる立場の人が例としてあげられています。

それに対して「分業」は、大きな作業を複数の人が役割分担をして行うことを指していて、効率化や専門家を図ることを指しています。

業種によっては分業が成り立たない場合があることを承知していて、あえて書くと、現在のビジネス社会は分業でありながら、それを取りまとめる一本立ちが求められるところがあります。

簡単に表現するとゼネラリスト(generalist)とスペシャリスト(specialist)ということになるのかもしれません。

では、自分の場合は、どちらなのかというと、ゼネラリスト(一本立ち)ではなくて、スペシャリスト(分業)を積み重ねて形づくってきたところがあります。

大きな話は別の機会に書かせてもらうことにして、今も続けている原稿や企画の作成では初めから最後まで続けて仕上げていく“通し仕事”が普通の感覚とされています。

原稿を書くときには、一気に最後まで書く、そのためにモチベーションを高めて、気力と体力を充実させてから原稿用紙に向かうということです。

ゴーストライターとして単行本の原稿を手書きしていたときには、こちらが当たり前のことでした。というのは、限られた時間の中で原稿用紙(400字詰め)300枚分を仕上げるためには、分割して書けるところから書いて、後でまとめるということをする余裕はなかったのです。

ところが、文章作成ソフトが当たり前の世の中になると、バラバラに書いた(文字打ちした)文章を整理して一本化することは普通にできるようになって、“細切れ仕事”の積み重ねが簡単にできるようになりました。

しかし、そのために勢いをつけて表現していくということができにくくなってきました。

それでも細切れ仕事の積み重ねが認められる世の中になって、手が自由に動かないことがある、目で見ることが長く続かないということでも、そのときの調子によって進めたり休んだりして、後で組み合わせて帳尻合わせができるようになったので、この年齢でもこなせているというところがあります。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕

発達障害によって感覚と運動系に課題がある場合には、自分の感覚や身体をうまくコントロールできないことに対する苛立ちがあります。それを理解して、できるだけ抵抗がない状態で活動に参加できるように支援する必要があります。

文の読みについては、全員で声をそろえて一斉に読む斉読では声を出しながら聞くということを身につけるようにします。また、個人読みの場合には、正確に読めるようになった短い部分を読ませて、徐々に長く読めるように指導していきます。

音読は、ただ正確に文字を追って読めればよいということではなく、リズミカルに読むことが求められます。

言葉として正しくても、日本語特有のリズミカルな読み方が必要で、その方法が2拍フット(2拍でひとまとまり)です。これは先生の場合は「せん/せい」と区切っていく読み方で、余った字は1拍で読むというものです(あり/が/とう/ご/ざい/ます)。

漢字の学習については、手の動きが感覚としてわかるようにすることや、空書きをさせて感覚と運動を一致させることが指導されます。

空書きは、教える側が手を出して空間に文字を書いていく方法で、教わる側に背中を向けて同じ手の動きをさせる方法もありますが、一般には向き合って教える側が鏡文字のように左右逆に書いていく方法がとられています。

感覚と運動系に課題がある場合の指導には固有感覚と前庭感覚の充足が求められます。固有感覚は筋肉の中の感覚器官が、どれくらい力を入れるのか、どれくらい外から力が入ったのかを検出して手の動きや身体の動きを脳に伝えることを指します。

前庭感覚は耳の内耳にある検出器官によって身体の傾きやスピードの感覚を脳に伝えることを指します。

特殊音節に関しては、清音、濁音、簡単な漢字への抵抗が少なくなった段階で、特殊音節(促音、長音、拗音、撥音)の法則性を理解することを重視して指導します。

間違えたところで止めて、何度も繰り返させるのではなく、理解して覚えるように導いていくことが大切になります。学習障害では総じてつまずきやすく、ここを理解することが重要で、教育スケジュールに合わせて進もうとしないことが求められます。
〔セカンドステージ連盟 理事長:小林正人〕

「日本人の食事摂取基準(2025年版)」では、目的に応じた活用上の留意点を説明しています。その中から食事改善の計画と実施の後半を紹介します。

耐容上限量を超えて摂取していている場合は、耐容上限量未満にする計画を立てます。耐容上限量を超えた摂取は避けるべきであり、それを超えて摂取していることが明らかになった場合は、問題を解決するために速やかに計画を立てて、実施します。

目標量の範囲外の量を摂取している場合は、範囲内に入ることを目的とした計画を立てます。

ただし、発症予防を目的としている生活習慣病と関連する他の栄養関連因子、非栄養性の関連因子の存在と、その程度を明らかにして、これらを総合的に考慮した上で、対象とする栄養素の摂取量の改善の程度を判断することが勧められます。

また、生活習慣病の特徴から考え、長い年月にわたって実施可能な改善計画の立案と実施が望まれます。

以上の食事摂取基準の活用の考え方の作成に当たっては、アメリカ・カナダの食事摂取基準で採用された考え方を参照して、我が国における食事摂取基準の活用事例を考慮しています。
〔日本メディカルダイエット支援機構 理事長:小林正人〕